子供の治癒力と生命力

 子供の治癒に向かう反応の早さは、大人のそれとはまるで違う。フルフォード博士などは、自分の老齢化とともに、クライアント年齢の上限を設け始めたくらいだ。


「前略~おとなは子どもにくらべてエネルギーの発散量が少ない。全力投球しても反応がいまひとつ鈍く、こちらが消耗してしまうのだ。いのちが輝いている子ども達は、私のエネルギーを吸いとってしまうようなことはしない」(博士の著作「いのちの輝き」より要旨抜粋)


 これは博士が90歳を過ぎてからの話である。90歳を過ぎて、尚、施術家であったという事実に驚嘆する。もっとも70歳代後の頃から、25歳以下、20歳以下、15歳以下・・・・とドンドン上限を引き下げていってはいたようだ。しかし、そこは根っからの治療家、大人でもあまりに気の毒な場合は、例外的に引き受けていたらしいが・・・・


 我々の業界では「邪気を受ける」という表現をすることがよくある。なぜか特定の人物の施術をすると具合が悪くなったり、異常に疲れたように感じてしまうのだ。特定の人物の施術をすると疲れるという事実を表現するのに便利な言葉なので私も使う。


 しかし、フルフォード博士の言にもあるように、邪気を受けるというよりも、正気を取られる、あるいは生命力の消耗と言ったほうが正確なのではないか、と思ってきた。邪気を受けるとは言いつつも。


 これは何も施術家だけに言えるものではなく、普通の会社勤めでもよく起きる現象だろう。ワケの分からんことをのたまう上司、足を引っ張る同僚、言葉を失うほどトンマな部下、ほとんどクレーマーに近い取引先・・人間関係で苦悩する要素満載だ。


 これが長く続くと、気の弱い人ほど生命力が消耗し、遂には病気になってしまうだろう。仕事がらそういうクライアントを何百人も見てきた。ゲに恐ろしきは人間関係だと思う。回りの人間から邪気を受けまくっている状態だと言っていいかもしれない(笑)


 施術院が軌道にさえ乗れば、こういう消耗がない分、施術家のほうが余程からだに良いのではないかと思う。クライアントに取られる生命力など何ほどのこともない。良くなった!の一言で、即時回復するくらいなのだから。しかし、目的を見いだせない施術が多かったり、改善させることができない症例が多いとヤラれてしまう可能性はある。だから、施術ストレスをなくすよう改善力を付けていかなければイケナイ!という理由でもあるわけだ。


 さて話を戻そう。

 我々は特に年齢制限を設けて施術することはないと思う。むしろ、子供に対する施術機会がほとんどないという施術家のほうが多いのではないだろうか。(勿論、客層は個別的であるから例外もいよう)


 実は私は子供の施術が嫌いである。子供が嫌いというわけではなくて、子供に対する施術が嫌いなのだ。理由は簡単、コミュニケーションが難しいというのと、ジッとおとなしく施術を受けてくれない、という単純な理由からである。


 加えて、子供には慢性病という病態はあまりないし、仮にあったとしてもそれは遺伝病的なものであるから、我々の守備範囲を超える。かと言って急性の場合は、医師でもない我々がしゃしゃり出るとあとあと問題になるだろう(フルフォード博士は医師の資格があった)。


 そういうわけで、大人よりも適応症例が少ないという意味でも、子供に対する施術が少ないということになる。症例が少なければいつまで経っても子供施術に慣れることはなく、結局苦手なままということになるのである。それで苦手意識はそのまま現在も続いている。


 しかし、フルフォード博士がいうところの子供の生命力の強さ、そしてその反応の強さを経験していないということではない。少ないとは言っても、経験自体が長いので、それなりに子供に対する施術はある。すくなとも、慰安系で施術している人達よりは多いだろう。


 たとえば最近の例では、2歳半の男児。突然、足の痛みを訴え、歩くのを嫌がるようになった。どうしても歩かざるを得ない場合は、半べそをかきながら、踵を付けず、つま先立ちで歩く・・・・


 実はこれこそ整体の守備範囲の真ん中で、ドンピシャ適応症である。結構多い症例で、麻布時代でも施術した記憶があるし、その前の札幌でもある。これは、ふくらはぎの筋肉のうち、腓腹筋かヒラメ筋にTPが形成されて、踵に痛みを送ってしまっているという典型パターンなのだ。


 え?幼児が?と思うかも知れないが、幼児であってもあるいは乳児であってさえも、TPは形成されるし、活性化だって起きる。

 

 何故か?


 子供の筋肉というのは概ね、骨の成長速度にその成長が追いつかない。これが極端であれば成長痛と言われる症状を引き起こすのだが、仮にその症状がなくてもそのときにTPが形成されるのである。そして、この原理はふくらはぎ系のみならず様々な筋肉で起こりえ得るし、高校生くらいまで症状が出る可能性がある(成長痛で悩まされた読者ならご存知だろう)。


 もっと言えば、それが原因で大人になってもTP活性が起きて、持病的なその人特有の症状を引き起こしたり、或いはその人独特の姿勢を形作る原因ともなる。


 さておき。
 この2歳半の男児は、特に成長が早いというわけでは無かったが、個人差があるので、成長痛の一種としてふくらはぎがツッパってしまったか、軽いTP活性によるものだと判断した。これが高熱の後であれば、アキレス腱の硬化からこのような事態を引き起こすことも考えられるが(肝経異常)、最近、高熱はおろか、微熱さえなかったということであるから、前者の判断で間違いないだろうと思った次第である。


 さて、施術が面倒くさいのが嫌いな理由なのであるが、2歳半ともなると小さな野獣みたいなもので、理屈が通用しない。そして暴れる。一旦、痛いと分かれば2度と触らせてくれないだろう。というわけでソロリソロリとふくらはぎと足裏を触って圧をかけるのだが、このときあまり遠慮していると充分に緩まないわけだし、加減が実に難しい。


 機嫌を取りながら、適圧を見出していく・・・それなりに気持ちが良いようだった。それでも5分くらいで飽きてしまって、動きだして施術させてくれない。ま、仕方がないかと。5分でも充分に出来たという手応えがあったので、OK!これで施術終わり!という最短時間施術であった。


 その子が立って歩き出したのだが、数分くらいは、まだつま先立ちでかつ痛みがあるようだった。しかし5分も経ったころだろうか。歩きが全く正常になって、しまいには走り回り始めた。


 施術を始めて10分後の話である。それ以来、その症状は出ていない。
 たった5分の施術とたった5分のタイムラグ・・・いくら早めの対応だったと言っても、この反応の早さは尋常ではないとつくづく思ったものだ。


 考えてみれば、生命力が枯渇の方向へ向いている中高年と、ピークに向けて燃え盛っている時期の子供では、まずベクトルの方向が違うわけだ。生命力そのものが治癒の原動力であるならば反応の遅速は当然の話ではある。


 反応は遅いにしても、クライアントのほとんどが大人である。文句を言っても始まらないので、対大人用の改善技術を練磨していくしかないだろう。それと、生命力を吸い取られないように体調には気をつけることだ。ベストパフォーマンスの施術をする為にも、無理のないスケジューリングが必要と思われる。


(しかし!若いうちは死ぬほど働いても大丈夫!35歳くらいまでは無理してでも頑張って!)

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