陰陽論Ⅰ

 陰陽というと、その語感、イメージだけで毛嫌いする人がいるかと思う。


 微妙に宗教的、あるいは占いっぽい、極端なイメージではオカルト志向などと感じる人もいよう。たまたま、日本には陰陽師(おんみょうじ)という占い的な、或いは呪術的な職業があって、歴史上、安倍晴明などが有名であったりもする。

 その法力の是非については論じられないが、少なくとも、中国思想の影響を受けたある種、形而上学的な分野ではあったことだろう。

 

 しかし、陰陽の本義はそうした超自然現象の説明のためにあるわけではなく、「一つのモノの考え方」である、ということは是非、知ってもらいたいのである。

 

 陽は目立つもの、表面的な、誰でも認識できるという側面を表し、陰とは逆に目立たない、深層的な、誰もが気づくものではない、という側面を表す。


 例えば、ビジネス(商売)というものを考えてみよう。

 ビジネスと言っても、我々からかけ離れた職種では興味も薄れるので、整体院の状況を例にとる。

 

 整体院というビジネスを陰陽で測るならば、陽は立地、内装、接客、技術、メニュー、価格等、誰でもすぐに分かる部分を指すことは明らかだ。

 

 例として、ここに盛業である整体院があったとする。

 

 これら陽の内容は調べればすぐに分かることだから、整体院を経営したい人は敵情視察とばかりに、そこに行って施術を受け、参考にするかもしれない。そして、当然、それが参考になる場合もあるだろう。

 

 しかし、物事の本質はそうした目に見える「陽」にあるわけではなく、むしろぱっと見て分からない「陰」に秘訣があるものなのだ。

 

 実はこのことを本能的に理解している人こそが、期せずして陰陽論を正しく理解しているとも言えるのである。


 たとえば、その整体院の盛業の秘訣は主宰者の陰の努力に負っていることは明白ではないか。具体的には、効果的なチラシについて日々考え、かつ自ら配布に出かけているのかもしれない。毎日、SNSで情報を発信しているのかもしれない。或いは独自の人脈を駆使しているのかもしれない。或いは圧倒的な技術力を身につけるため、人知れず研究しているのかもしれない。これらは所詮、その努力の一部にしか過ぎないが、要は顧客をリスト化するのに大変な努力を払っているのもかも知れないのである。

 

 その努力は一回くらい訪問したからと言って、他者に分かるものではない。


 しかし、陰を見る眼を持っている者は、おぼろげながらにでも見えてくるのである。少なくとも想像することはできる。

 

 人の見えないものを見る、というのが陰陽師ならば、それが分かる者は立派な陰陽師ではないだろうか。


 逆にそれが分からない者の末路は哀れである。


(なに?あそこの整体院が流行っている?・・・・そうか、その秘訣はどこにあるんだろう。なるほど、立地か、なるほど、メニューか、なるほど、この技術か、よしそっくり真似すれば成功できるに違いない・・・)

 

 この者は大概失敗する。

 陽に振り回され、陰を見てないからである。というか、見えてないからである。

 

 業界ではあまりにも有名な話なので、私も何度か書いたことがあるが、再び例として挙げるので教訓にしてもらいたい。


 あるリフレの流派の話である。


 先代から引き継いだその経営者は施術の素人であった。

 そこそこ、その流派は業界で存在感を示していたものだが、引き継いだその時期、とある別流派が急激に勢力を伸ばし、全国を席捲していた。

 彼は、その秘訣は今まで日本になかったその技術にあるに違いないと思った。


 そして、自派の技術をその勢力を伸ばしている技術体系に変えてしまったのである。


 どうなったか?

 

 言わずもがなである。


  その真似した別流派が隆盛になったのは、技術などではない。

 (私は技術の専門家だからよく分かる)


 経営システムなのである。それは、外部からは伺いしれない、事業としてのノウハウなのである。


 彼が業界では小なりといえども独自の存在感を示していた技術を捨て、大したものでもない技術に変更したおかげで、引き継いだ彼の流派は誰からも見向きもされなくなった。結果、小さかったが素敵なサロンを失い、それなりに入学者もあったスクールを失った。


 そう、全てを失ったのである。


 陽しか見ることができない、つまり物事の本質が分からないということはこうした悲劇を招く。


 物事を実行しようとする前に、決断する前に、自分は物事の陰陽を正しく見極めているのか?と改めて自問することが重要かと思う。


 このように陰陽の意義は神がかり的なことにあるのではなく、人生を生きて行くために、必要な知恵を、ヒントを提供することにあったわけである。

 

 陰に隠れて見えないところにその本質があるのだと。


  「人は見たいと思うものしか見ない」

 ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の名言だが、彼の視点とも相通ずるではないか。全くもって古典に学ぶことは多い。


 では、陰陽論をそっくり施術に当てはめてみよう。


  つづく・・・・

 

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