邪骨(じゃこつ)

 現在、日本語入力ソフトで「じゃこつ」を変換するとせいぜい「蛇骨」くらいしか候補に挙がらず、邪骨なんぞは死語に近い古語だということがわかる。

 

 確かに邪骨は東洋医学で使われてきた言葉ではある。しかし昔は一般的によく知られていた概念なのだ。にも関わらず、死語に近い言葉になってしまっているとは一抹の淋しさを感じてしまう。

 日本の伝統、遺産を後世に語り継ぐ、といっては大げさだが、少なくとも、業界人には知って頂きたく浅学を顧みず筆を取った次第である。ただし正確を期するというよりも広く啓蒙したいという意味合いにおいての記述であるから、厳密性よりも読みやすさを優先させたことは先にお断りしておきたい。

 

 

 というわけで、まずここで現代風に定義して置きたいと思う。
 とりあえず「身体の軟部組織の一部が硬くなり、触った感じが字句通り「骨」のような感触を得る部位」とでもしておこうか。

 

 もちろん。実際に骨があるわけでもないし、カルシウム沈着による仮骨化現象でもない。あくまで、軟部組織が硬くなっての例えとしての「骨」である。だからこそ、本来の骨ではないという意味で「邪骨」なんだろうと思う。

 

 さて、この邪骨、身体のアチコチに存在することは同意して頂けるのではないだろうか。特に表層筋で触れるトリガーポイントの周辺はまるで針金が入っているかのように索状物として感じられてくるし、部位によっては生の小豆や大豆が入っているかのような硬結として感じられる。このように、邪骨といっても、業者ならば日常的に触れて感じている類のものであるから、特に珍しいものでもないし、ことさらそれを強調して自流の特長にしようとする魂胆もない。

 

 ところが、本来の意味での邪骨はもう少し部位を限定して表現してきた。


 その部位とは腹部である。


「腹は生の本なり」(日本における漢方)が大原則であるから、その生の根本である腹部での邪骨とは穏やかではなさそうだ。

 今回話題にしたいのはその腹部での邪骨の話なのである。

 

 前に内臓のむくみがガンの前兆となるという説に基いたゲルソン療法について少しふれたことがある。今回は「むくみ」どころではなく「邪骨」なのであるから、更に問題がありそうなのは容易に推察できるだろう。

 

 経験から言って、この邪骨の正体はほとんどの場合、腸腰筋のうちの大腰筋だと思う。特にへその横の奥深くで触れる腰筋は、短縮膨大がある場合、まるで硬いサラミソーセージが入っているように感じられる。実に「邪骨」らしい存在感だ。


 さらに腹直筋なども部分的に硬くなることがあって、これも邪骨と考えて差し支えないだろう。

 

 トリガーポイント理論では腰筋のトリガー活性は腹痛や腰痛を呼ぶものとしているし、腹直筋も同様である。

 ということは「邪骨」とは腹部から触れることのできる筋肉のトリガーポイント形成とそれに伴う筋肉の短縮膨大と言えるのかもしれない。

 

 ところが、経験上、それらも含むことは異存のないところではあるが、やはりそればかりではないという場面にも出くわす。

 それは、内臓の腫瘍とは考えづらい(子宮筋腫の一部などは邪骨的に感じられるが)。ということは腹膜を含めたいわゆる腹壁全体の中で考えられる“何か”としか言いようのないものなのである。

 

 トリガー理論ではその存在も症状も説明できず、まさに邪骨としか呼びようのないものかと思う。

 腹部は他の部位とは違って、筋筋膜のみならず、様々な組織が指に触れてくるわけだから、その正体を正確に突き止めることは難しいだろう。特に、熟練の漢方医が行う腹診(腹証)は、本来自覚症状でしかないものをあたかも他覚症状の如く感じてきたという歴史がある。

 

 つまり、医者が感じる患者の自覚症状を指先の感触に例えて邪骨と表現しているのではないだろうか。

 

 なんでもその正体を突き止めねば気が済まないのは、呪術や怪しい理屈が医学の中に紛れ込んでくるのを防ぐ重要な態度であるとは思うが、現在の医学水準では説明不能な現象が多々あるのも事実である。(漢方薬の治癒機序などはまさにそうではないか!)

 

 ここは素直に古人の知恵に従って、邪骨は「邪骨」という概念のまま論を進めたい。

 

 かなり昔、相当なストレスを抱えた中年男性の腹証を行ったことがある。(ストレスが溜まると、生来の吃音が激しくなり、時には言葉が全く出なくなるという)

 

 丁度、鳩尾の下、やや右あたり(腹証では“心”反応ゾーン、筋肉的には上部腹直筋)を軽く触れたときであった。
 全身に痙攣が起きるのである。それはあたかも痙攣を起こさせるスイッチを押しているが如くであった。
 指を離すと、すぐに痙攣は止む。そしてまた触れると、全身痙攣が起きる・・・(一体、これはなんなんだ??)


 若かりし頃の私はただ驚くしかなかったが、もっと驚いていたのはそのクライアントであった。
 「なんなんですか?」当然の疑問だろう。

 

 そんな現象に出くわしたことなど一度もないし、こっちもびっくりしているわけだから、上手い説明など思いつくわけがない。

「なんなんでしょうね・・・・」と素直に言うしかなかった。
 カウンセリングとしては最低だが、下手に知ったかぶりしてもしょうがない。

 

 今から考えるとこの事件が按腹探求の第一歩だったような気がする。

 

 そして後に大塚敬節先生の著作の中で、これに類する記述があって得心がいったのである。

 

 あるとき大塚先生のもとへ男性の気管支喘息の患者が来院した。上腹部に硬いしこりを認め、そこを軽く押すと、患者は苦しくて仕方がないという。大塚先生は胸脇苦満(漢方の証の一つ)の激しいものだろうと診断し、それに合う方剤を処方したところ、どこに行っても治らなかった症状が軽快し、遂には完治した。


 そしてその患者は自分の上腹部のシコリをどの医者に話してもとりあってくれなかったのが、何も言わないのにそこを押して、ここが喘息の原因だと説明してくれたので、とても嬉しかった、と述べたという。

 

 大塚先生はそのことを患者に説明する際に、邪骨という表現はせず「喘息の根」と言われたそうな。
「~の根」とはなんと味のある表現だろうか。
「腹は生ある本、故に百病は此に根ざす」という格言から引用したものと思われるが、個人的には、いたくこの表現が気に入り、授業などで述べたりするようになった。

 

 邪骨よりも「~の根」のほうが大和言葉的であるし、それは腹証が中国には伝わっておらず、日本漢方オリジナルであるという事実を鑑みても、妥当な言葉のような気がする。

 

 短縮した腰筋を「腰痛を起こしている邪骨ですよ」と表現するよりも「これが腰痛の根ですよ、分かりますか?このシコリです」のほうが話し言葉としては言いやすい。

 

 さて、これらを考えるに私が若い頃診た中年男性の腹証は、上腹部の邪骨ということも出来るし「ストレスの根」、もっというと「吃音の根」ということもできるだろう。

 

 現在も浅学非才であるが、当時はそういう謙遜さえいう余裕がないほど知識不足であったから、按腹によって彼が抱えていた症状を取り除くことが出来なかった。悔やまれるが、施術家として成長していく糧にはなっている。感謝と共に、より多くの症例で実績を挙げることが、次世代の育成に繋がっていくものと思うし、それによって、治せなかった負い目を償えるのではないかと思うのである。

 

 ともあれ、邪骨。
 その語感はなんとも奇妙でオドロオドロしい。


 それが故に使われなくなってきた言葉だと思うが、病態を把握し、治療上の手を打つには、なくてはならない概念かと思う。(特に按腹においては)

 

「~の根」という概念と共に、次世代に継承すべきものの一つかと思うのである。

 

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