首肩こりタイプ色々

 治療系を標榜する流派の中には、肩こり緩和施術を慰安系の一つと断じ、施術を行わない旨を明記する処があるらしい。

 

 気持ちは分からないでもない。


 肩こりを持っている人々はその大半において自分を病気だとは思っていないし、せいぜい一種の体質くらいの認識でしかないからだ。いきおい、肩こり緩和は、温泉、健康ランド系においてのサロン-(自らをリラクゼーションと定義する)-で、行うことが多くなる。或いは、オフィス街に構えているサロンを訪れ、仕事の合間や帰りなどに対症療法的にほぐしてもらうことになるかもしれない。

 

 本格的な治療系を標榜する流儀においては、この種の顧客群が求めるものと一致せず、トラブルやクレームに発展してしまうことさえあるだろう。したがって、最初からそれらを予防するという意味と術者自らの疲弊を防ぐという意味において、「お断り」を謳っておけば、四方丸く収まる。

 

 気持ちが分からなくもないと言ったのは、多大な労力をかけて人の身体をある側面から研究し、大きな自己犠牲を払って研鑽してきた知識や技能が、さほど敬意も払われず、場合によってはクレームの対象にさえなるというのは耐えられるものではないと思えるからだ。

 

 こうして「ほぐして貰いたければ他所へ行け!」と極論する一群の流派が出てくるのはそれなりに理解できるのである。


 さて、我が流儀においてはどうか?
 大上段に構えるのではなく、まず施術者としての素朴な体験とトラウマを語りたい。
 

 実は私自身、この肩こりほぐしが苦手だった時期が長い。出自は足もみだとは何度も述べているところだが、その昔、足の施術はリラクゼーションというよりも治療系の一つで、かなりマニアックかつ難病系の人が多かったのある。


 しかしながら、首や肩が凝っている人も多い。もちろん、それが主訴でそれを改善してほしいというものではなかったが、他の症状に付帯するものとしてはダントツに多いという状況は早くから把握できていた。そして、足を揉んでも身体が緩み、結果として肩こりが楽になったという症例もあるにはあった。


 しかし、直接、首肩の施術を行えば、もっと改善が早いのではないか?場合によっては首肩のコリが諸悪の根源ではないのか?という事例にも度々遭遇したのである。

 

 そこで、見よう見まね(自己流)で首、肩ほぐしを取り入れることにした。そこそこの器用さもあって、それなりに喜ばれたものである。

 

 しかし、あるとき、全くと言って良いほど歯がたたないクライアントに出遭ってしまったのである。とても人間の筋肉とは思えない・・・・指は弾かれ、受け入れてくれないのだ。


 今考えれば、取るに足らないものであるが、当時もそれなりにプライドがあった。もう後先のことなど考えていられないと思い、指など壊れても良いくらいの覚悟で強圧しても、不思議なことにますます、指が弾かれるではないか。

 

 このときほど情けない思いをしたことはない。
 自分の技量が通用しないのである。

 

 この悔しさが自分の原点であったように思う。
 つまり、整体への本格的情熱はこのときのトラウマが発火点となっているのである。

 

 後に首こりはうつ症状を招き、ときとして、パニック障害やPTSDを憎悪させる-さらに肩こりは星状神経節を緊張させ、100種類になんなんとする病を憎悪させることが分かってきた。そして、そのような臨床体験も積んできた結果としての結論は「首肩のコリ」を侮ることなかれ!という教訓である。

 

 全部ではないが、その人の抱えている病の淵源をたどれば、首肩のコリから始まっている例が多いのである。頭頸部や脳に発現する病は特にそうである。

 

 このようにして自派の整体の源流が首肩から始まっているのであるから、それを慰安と断じて、遠ざけるようなことはしない。むしろ歓迎する。

 

 しかし、治療系の多くの流派が、単なるほぐしと慰安を求め、一定の敬意さえ払えない客を避けているように、私とて聖人君子ではないから、そういうノリの客にはご遠慮願う。たかが数千円のために媚びる者は一生媚びて生きていかねばならないからだ。

 

 ただし、真正に首肩を緩める実力がないのに、そういう態度では単なるワガママだと言われても仕方がない。

 

 過小でも過大でもなく、正当に自分の実力を評価するのが一番難しいのかもしれない。そのせめぎ合いの中で、施術者から施術家へと成長していくものなのだろう。

 

 さて、肩こりの人にはタイプがある。
 少しでもこの業界に携わったことがあるなら、同意して頂けるものと思う。

 

 まず、肩こりを感じている人といない人に分けられる。しかし、これはあくまでもその人の主観であって、術者の手指に感ずるものは全然違う。

 本人は肩こりなど感じたことがないと言っているにも関わらず、実際触ってみると、鉄板が如きパンパンに張っている者さえいる。
 

 私の経験では、コリ過ぎて首が普通の人の半分も回らないくらいになっているのに、それでも尚、コリを感じないというご婦人に出遭ったことがある。鈍感な男性なら多く経験しているが、コリに敏感なご婦人では珍しい例だろう。ことほど左様にコリの感じ方は個人差がある。

 

 このような一群の人々はコリを感じないのであるから、コリを主訴として来院するわけではない。何か違う症状(例えば頭痛や耳鳴り、めまい、自律神経系の病など)で来院し、肩こりが判明したということになるかと思う。

 前述したが、頭頸部に発現する病が多いので、その場合、コリを感じる、感じないに関わらず、首肩を緩めることがプライオリティとなる。

 

 面白いことに、コリを感じない者でも、コリが緩めば、首肩周りが楽になったという自覚があるし、軽くなったという感覚があるということだ。
 そして、そこではじめて、自分がコッていたことを自覚するのである。いくら言葉で説明しても実感させないと中々分かってもらえないのが人間というものである。


 施術はそのためにあるようなものだ。それが成功したとき、カウンセリングがやりやすくなるのは当然である。

 

 次にコリを感じるタイプについて。
 このタイプはコリそのもので来院することが多いだろう。


 強くコリを感じているのであるから、付帯する症状(頭痛、眼の奥の痛み、不眠、吐き気など)はまさにコリから来ていることに薄々感づいている。そこで、ほぼ完璧に首肩のコリを取ってあげると、付帯症状は消失し、コリとはこれほど身体を傷めつけるものなのか?と改めて確信するようになり、ファンになる確率が高い一群の人々達でもある。

 

 不定期かもしれないが、長く付き合うクライアント群だろう。
(相手の期待以上に緩めることができればの話だが・・・)

 

 おそらく難儀するであろうクライアントはこの感じるタイプの中でも、特に筋肉が硬くなっていて、さらに刺激に鈍感なタイプである。昔から「あん摩泣かせ」と呼ばれていた一群の人々であるが、実は初期の頃、このタイプの人に出遭ってしまってトラウマになったわけだ。

 

 もちろん、男性に多いのだが、実は、本当のあん摩泣かせは女性にこそ存在する。男性の筋肉は速筋が多く、これは短縮しやすいという傾向を持つ。女性は遅筋の割合が多く、萎縮しやすいという性格がある。

 

 筋短縮も当然、ガチガチのコリとなって手指に触れられるが、萎縮してカンカンになった筋肉は硬いスジのような感触で、それはまるでワイヤーのようだ。


 この萎縮した筋群が脂肪と相まって、つまり、ある程度の肥満と重なってくると、それはもう泣きたくなるほど手指を受け付けない。あん摩泣かせとはよく言ったものである。

 

 こういう場合、力揉みしてもダメである。
 ところが、力自慢の術者が力押しと力揉みを行う。すると「私のコリをほぐせるのはあの先生しかいない」とかいうことになって、強い刺激を繰り返し求め、ますます刺激に鈍感になる。刺激に鈍感になるだけなら良いが、筋肉に対して横への強刺激は筋原線維の微小な損傷を生む。大きな損傷は再生し得ないが、微細なものなら再生機能が働く。この再生時に筋がまた硬くなるのである。

 

 生来の体質とともに、こうした人為的なものが加わってくると、それはもう、想像を絶するほどの硬さとなり、地域でも一、二を争う鉄板肩となるわけだ。

 

 我が流儀が基本的に“揉み”を使わないのはこうした人為的なあん摩泣かせを作らせない為でもある。こうした人の場合は、これ以上、筋肉を損傷させないことが、一番重要だろう。


 そこで、“揉み”はよろしくない・・・云々と告げ、違った方法(揺する、擦る、体操させる)で処置し、普段の生活指導も行う、ということになる。


 しかし、もはや、そんなことでは、かえって気持ち悪くなるほどカチンカチンに固まっているので、クライアントは大いに不満に感じるだろう。クレーム問題に発展するかもしれない。
 こうして「単なる肩コリ緩和を求める者はお断りする」ということになるわけだ。

 

 それが一番話が早いにしても、そういうクライアントは確実に身体を蝕まれていく。いつか頭頸部or脳に重大な病を抱えることになるかもしれない。故に満足いくようコリを解消し、かつ筋肉を傷めないようにできればそれが一番なのではないだろうか?


 満足させた上で、理をもって説けば、きっと耳を傾けてくれる。自分の施術家人生はその解決のためにこそ、多大な労力を使い、多くの犠牲を払って検証してきたと言っても過言ではない。

 

 検証の結果、ウルトラ級あん摩泣かせ体質のコリ者でも、筋肉を傷めず、充分に満足させるレベルでコリを緩和することは可能だということが分かっている。

 

 つづいて盲点になるコリ者について。
 本人は充分にコリを感じているが、触った感触がまるで凝ってないような柔らかさを感じるタイプ。

 

 術者の手指は熟練すれば、これ以上ないほどの性能を持つセンサーとなり得る。しかし、それが当てにならない場合もあるということは是非覚えて置かれると良い。

 

 首、肩周りのコリが辛いと訴えるクライアント・・・・実際、触ってみる。しかし、柔軟でコリなど、どこにも見当たらない。
むぅ~、これでコリ感があるのか・・・一体どうして?


 数は少ないかもしれないが、経験が長い分、結果として多くのこのような症例を診てきた。

 

 結論からいうと、こういうタイプのコリ者こそ、頭の中(つまり脳)に問題を抱えるタイプである。高い確率でウツ、パニック障害、パーキンソン・・・etcに罹患する。

 

 もちろん、セオリー通り、カチカチな首肩でこのような症状を持つ者もいる。これが人間の身体の多様性というか、ややこしいところだが、病を限定するとヤワヤワ首肩こり者のほうが圧倒的に多いのである。


 そして、こうしたやわやわコリ者でも、しかるべく施術をすると、コリ感が解消され、とてもスッキリするという。つまり、やっぱり凝っていたのである。

 

しかし、ここで思い至らないだろうか?

 

 たまたま、その事実を経験的に知り得ていた術者ならば、こういうタイプのコリ者に理解を示すことができるし、抱えている症状(病)の元凶であることにも思いが及ぶ。しかし、その見識がない術者ならば、さほど凝ってないと判断するだろうし、ましてや、脳や頭頸部の症状の原因などとは想像もできないだろう。

 

 つまり、苦しみ、悩み抜いているクライアントが眼前にいるにも関わらず、手助けできないということになるではないか。

 

 首、肩コリの緩和というだけで遠ざける流儀はこうした意味において、治療系の役割を果たしていないし、単に首肩をほぐせば良いと思っているリラクゼーション系は事態を悪化させかねない。つまり見識不足である。

 

 身心の悩みを解決するべく手助けする為に、この道に入ったのではなかったのか?

 

 首肩コリ者は初心と原点を思い出せてくれるありがたい存在なのである。

 

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