頭蓋リズム(頭蓋骨の自律的動き)

 1939年は手技療法(徒手療法)界にとっては当たり年であったかもしれない。現在伝わるリフレクソロジーの反射区図表がユニーシス・イングハム女史よって発表された年でもあり、「頭蓋骨は動く」とサザーランド博士が(おそらく人類で初めて)主張した年でもある。(諸説あるにせよ・・・ここでは通説を採用している)


 リフレクソロジーについては、私の手技法家としての出自でもあることから、何度か言及してもいるし、外部の専門誌にも見解を発表しているので、最近はあまり言及することがなくなった。というわけで、足部療法の原理については語り尽くした感もあるので、ここでは詳述しない。別の機会に、また新たな視点を提供したいと思う。


 さて、ここでの拙論は、39年同期生の一方の雄であるクラニアル・マニピュレーションについてである。年代的にリフレクソロジー(足)とクラニアル(頭)という対極にある療法が実は同期生であったというのも面白いし、両方に縁している私なんぞは、格別の感慨が・・・別にない(笑)


 ともあれ、クラニアル・マニピュレーション、頭蓋仙骨系手技の全ての始まりは、1939年の「頭蓋は動く」という主張から始まったわけだ。

 

 先駆者には付き物であるが、この主張は当然、論議を呼び、猛烈な批判にもさらされた。批判を浴びつつ「それでも頭蓋は動いている」とガリレオばりに述べたかどうかは知らないが、その後、頭蓋骨がその縫合部分を軸として自律的な動きを伴い、全体として調和しているという予測は、すでに測定されていて、既定の事実となっている。


 その事実から出発した頭蓋療法は、幾多の変遷を経て、現在のような手技史上最も繊細かつ微細なタッチに行き着いているのである。


 批判者はわずか数グラムのタッチで何が変化するのか?どんな影響を与えているのか、考えられないし、信じられないという。確かに常識的には、一円玉数枚乗っけた程度の圧で影響を与えるとはとても信じられないだろう。


 現段階で、全ての解明は無理だが、人間が持つ微細なリズムに同調することによって、大きな増幅作用が生まれ、それはあたかも共振現象であるが如く影響を与えるものと思われる。しかし、こうした予測とか、仮説を超えて、臨床上の実感と治療実績を持つ実践者はその効果を疑うことがないのであるから、批判者はいくら批判しても、変心させたり、宗旨替えさせることは無理である。


 私は2002年からこの手技を取り入れ、もうかれこれ10数年経っているわけだが、その経験から言って、頭蓋は間違いなく自律的な動きをしているし、各構成骨の独自の動きがまるでアンサンブル、もっと大げさに言えば、オーケストラのハーモニーの如く感じられる。しかも、人によって違うハーモニーを奏でているのだ。これを感じること自体、非常に面白いのだが、その効能効果の予測が付かないところもクラニアル・マニの魅力である。


 例えば、先日のクライアント。股関節の開きが悪く、無理に開こうとすると、痛いといっていた。TP体系を駆使しつつ、経絡反応を起こさせる手技を行ったところ、軽減されはするが、キレイに痛みは取れないと。そこで、股関節とはあまり関係ないかな、と思いつつも、クラニアルを行った。すると、あら不思議、全く抵抗なく開き、痛みが消失していた(全ての股関節問題を解決できるわけではないので念のため)


 もう10年以上の付き合いだが、未だにその効き方がミステリアスで謎多き療法なのである。どんな素敵な人でも10年も付き合えば、かなり飽きてくるだろうし、夫婦ならば、3回目のくらいの倦怠期に突入しているかもしれない(笑) ところがクラニアルと10年以上、付き合っても、未だに意外性があって飽きないのだ。


 ただし、この療法は人を選ぶ。


 コリコリを解してもらいたいという健康ランド系サロンの常連になるような人にこれを行っても、ネコに小判みたいなもので無価値か、場合によっては顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれない。しかし、本当の病人や感受性の鋭い者にはまたとない難病解決法となるケースが非常に多いのである。


 来院の段階でクライアントを選別して、本当の意味で治療系に特化するか、そこまでいかなとも、ちゃんと施術すべきクライアントをその場で選ぶかしないと、せっかくの高度な技術が活きてこないと思うので、そこら辺は注意が必要だろう。


 ともあれ、按腹などと並ぶ難病対策の手技体系の一つだと思う。


 頭蓋仙骨の専門療法家は他の手技との併用をあまり認めない傾向にあるようだが、クラニアル10数年の経験から言って、経絡反応系の施術とは非常に相性が良いと感じている。おそらく、頭蓋仙骨系は気功的にいえば「小周天」であり、経絡的にいえば「督脈、任脈」アプローチになるからだろう。そういう意味ではヨガ系とはドンピシャ理屈が一致するところもあるので、相性が良いかもしれない。(詳しくは知らないが、ヨガにもエネルギーワーク的な方法論とフィジカルな面を強調する流儀があるらしい-どちらにせよ、クンダリーニの活性は重要課題であるはずなので、相性が良いのではないかと推測する)

 

 全身的な経絡反応が充分に起きると、身体がとても緩む。当然だ。
 そこで最後にクラニアル・マニを行い頭蓋の動きを検出する。そうでない場合(全身整体をしない)の頭蓋の動きはあきらかに鈍く、弱い。


 実際、同一人物で、この両方のケースを実体験するには、中々機会がなく、難しいかもしれないが、そこは、クラニアルだけでも10年以上、関わってきた経験を信用してもらうないしかない(そうして頂けると幸いなのだが、そうでなければ、本論を読む意味がないことになるので、ここから先、信じない人は読まないほうが時間の節約になるというものである)


 特に首を緩ませると、それだけで、リズミックな動きが回復してくる。
後頭骨と頚椎を上部でつなぐ後頭下筋群や、同じく後頭骨に停止しているが、後頭下筋群よりも随分長い筋肉である頭半棘筋などはテキメンと言って良いと思う。そして忘れてならないのは側頭骨に停止している胸鎖乳突筋である。胸鎖乳突筋が何らかの理由(事故や日頃の姿勢など)で緊張短縮すると、かなりの確率でストレートネック化してくる。いろんな意味でこの状態はよろしくないわけだが、これが側頭骨の引張を強め、結果、側頭骨の自律的な動きをブロックしてしまい、それが元で頭蓋全体のリズムを損なわせてしまう。


 筋肉の緊張が強いとTP活性が起きて、特有の症状を生み出すわけだが、頚部の筋肉の場合は、それだけにとどまらず、頭蓋の固有リズムを阻害する要因となり得るわけだ。であるが故に頚部の処置を重要視する基本手技を構成していった(胸鎖乳突筋の処置は基本手技の中にはないけれども)


 あまり重症でなければ、頚部筋を入念に緩めることによって頭蓋の自律的な動きを回復せしめ、もってクラニアル・マニの代用は可能だが、動きの鈍さが極端である場合(重症化)は、やはりクラニアル・マニピュレーションを直接に施す必要が出てくるだろう。


 ところで、クラニアル・マニの最大の障害は施術者自身にあると思う。


 頭蓋の固有のリズムと言っても、それは極めて微細で、物理的尺度を用いるならば、1ミリの4分の1(250ミクロン)が最大幅で、大抵はそれよりもかなり小さい。それほど微細な動きを検出できるものなのか?まず、その不信感が検出の妨げになるだろう。


 さらに呼吸によって身体も少し動くので、その動きとの混同が出てくる。さらにさらに、固有の動きといっても、一種類ではなく、結論からいうと全部で4種類の違ったリズムがある。これらが混在してくる中で、それぞれを検知できるものなのだろうか?もっともである。大概、ここで壁にぶつかり、断念するのだ。


 クラニアルとは違うが、故増永師は経絡を診断する心構えとして、徹底した「待ちの姿勢」を強調しておられたそうな。つまり、能動的な診てやろうという姿勢ではなく、見せてくれるまで待つという極限的なまでの受動的態度である。


 見せてくれるまで待つ・・・・漢方における診断もそうでったと聞く。


 実は頭蓋のリズムの検出もまったく同じことが言える。極限的な待ちの姿勢、受動的態度。なにも期待せず、ただ触るだけ・・・


 ここで、感じてやろうという野心があってはもうそれだけで感じられなくなる。野心も焦りもなく、そこにあるのは常に平常心。感じるまで待とう、という受け身の姿勢。


 まさに「貴きを待ちて日暮るるを知らず」的な心構えが要求されるのである。東洋でも西洋でも、同じような心構えで臨むことが、良き診断(施術)の秘訣であるとするのは実に興味深い。(そういう意味でも時間に追われてセカセカ、チャカチャカする施術はよろしいとは思えないのだが)


 さておき、頭蓋の固有リズムも諦めず修練すれば、信じられないほど強烈に感じられてくるものだ。一度、感じられれば、感じられない者の異常さについて確信できる。そうすると幾何級数的に上達するのである。

 

 長年、この手技を教えてきたが、実践者に言わせれば、クライアントの反応は概ね良好だという。ただやはり、固有リズムの検出がイマイチ確信が持てないとも言う。


 それを聞く度に「分かればもっと面白く、もっと確信が持てて、引いてはもっと効果的な手技ができるものを・・・」と残念でならない。


 この段階では「心構え」云々のレベルではなく、必要とされるテクニックの問題でもあるから、この度、授業内容をリズムの検出に重きを置くべくマイナーチェンジすることにした。ほぼ完成しているので、次回のクラニアル講習は新バージョンということになるだろう。検出にイマイチ自信のない既受講者は聴講なり、再受講されると良いと思う。


 昔なら経験を積め!自分で修行して感じろ!と突き放したところだが、最近は優しくなったような気がする。元気なうちに伝えるべきことは伝えたい、という老人性気弱症候群に陥っているせいかもしれない(笑)

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