※受講前には必ず以下の文章を読んでおいてください。
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基本手技の意義
このコースの最大の意義は身体全体に経絡反応を起こすということに尽きます。(故に古方手技なのです)
このとき自分の身体のリキみをいかに取るかが、成否を分かつでしょう。
リキんで施術すると、経絡反応は不思議なくらいに起きづらくなります。
経絡というのはリキみのない素直な圧に一番反応するんですね(これを証明することは可能です)
リキみが入ることによって私も何度失敗したことか・・・・
強い症状を持って来院する方がいるとします。
(ははぁ、なるほど~ 多分、ここかかな・・或いはここか・・・)と原因が大体分かることが多い。
(よ~し、じゃ、改善してやるか!)くらいの勢いで取り組んでいると、微妙に力が入ってしまいます。
すると施術自体が失敗に終わることがあるのです。
勿論、リキんで施術しても治るような簡単なクライアントもいます。 あるいは理想的な施術が出来ても、そう簡単に良くはならないクライアントさんもいます。
でも、そういう結果論ではないのです。
ベストの施術が出来たかどうか?
(これが後々極めて重要になってくる)
我々に出来ることは施術にベストを尽くせたかどうかです。結果というのは後から付いてくるものであって、その結果を施術する前からコントロールすることなど基本的に出来ません。
江戸時代の天才漢方医-吉益東洞は「医者は患者の生死に関わるな」と言いました。
この意味は、「生死とは天命であって、所詮、人間でしかない医者に出来ることは私心も邪心もなく、ただ目の前の患者の病を治すことに全力をもって集中することだ」ということです。非常に味わい深い言葉ですね。
だから、リキみが入った施術をしてしまったとき、仮にクライアントの症状が改善したとしても納得できるものではありませんし、ましてや、改善しないということであれば、最大にストレスを感じてしまいます。リキみが入るということは集中できなかったということなのですから。
自分にリキみがないと、圧が浸透していく感じが分かるのです。
逆に微妙なリキみが入ると、圧が浸透しないというか、ある種の不全感を感じてしまうものです。これは必ず分かるようになります。
自分がかけた圧がクライアントの身体に入っていってるなぁと、そういうストレスのなさ、というか、中々表現が難しいのですがクライアントとの一体感を得るとき、まさにそれは経絡反応が起きているときなのです。
施術ストレスというのはレベルが上がるにつれ、結果ではなく、クライアントとの一体感、つまり経絡反応を起こし得たかどうかによって決まってくるものです。
最初はそんな余裕などないかもしれませんが、絶対に分かるようになります。また分かるようにならないと施術家とは言えません。単なる揉み屋です。
単なる揉み屋になるなら、別にウチに来る必要はないわけで、そこらへんの温泉マッサの研修を受けて、数ヶ月も実践すればそれはたいそうリッパな揉み屋さんになれますから。
経絡反応とは治癒システム発動のことですから、この基本が出来ませんと、真の癒しになりません(ということは本治し得ないということです)。
また、個別の症状を取る方法を行うにしても、単に対症療法になってしまうわけです。
いかにこの基本が重要かということなのです。
基本が出来ているということは「原点」があるということです。
原点がある人というのは強い。
なぜなら、やっていくと必ず、行き詰るときがあるからです。 人間ですから、これは仕方がありません。
しかし、原点がある人はその原点に立ち返ってみることが出来るわけです。 すると、かならず(あ~そうか・・慣れが出てきて、基本がおざなりになっていたか・・)と気付くことができるわけです。 これは確実な進化のサイン。
施術家として一歩成長した証しなんですね。
施術者と施術家
「施術者」と「施術家」とは違います。
「者」と「家」の一字しか違いませんが、これは全然違うものです。 施術者というのは施術する「者」であって、言われたことを言われたとおりに“施術”する「個人」のことだと字句の上からも解することができます。
「施術家」は「家」ですから、家長を表します。つまり、一つの流派、流儀の“家元”みたいなイメージでしょうか。
現代風に解釈するなら、雇われて施術の仕方まで指示される立場の人を「施術者」と言い、自分でサロンなり施術院なりを構え、自分の意思で自分が思うように“施術”することができる人を「施術家」というわけです。
当然ながら、開業者は施術者ではなく施術家でなければなりません。 仮に一人でやるにしても、そのサロン、施術院の代表者、つまり「家」の家長なのですから。
立場ばかりに憧れていてはいけません。家長には責任が伴います。 責任のない権利などありませんからね。
全ての責任を負う自信を得たときに開業という具体的な行動を起こすことになるのですが、当然、自信には様々な要素があります。
開業ですから、ビジネス上のスキルは勿論のこと、肝心の施術上のスキルもまた重要な要素の一つでしょう。
具体的な症状をある一定の確率で取り去ることが出来るスキル、これは絶対に必要です。
しかし・・・このこと自体はさほど難しいことではありません。我が明生館塾で学べば、です。
普通に真剣に努力すれば身に付くのです。
その前提になる力を抜いたリキみのない施術が全編に渡って出来るかどうか?これがキモになってくると思いますよ。
つまり、原点を作るということなのですが、壁にぶち当たっても自分ひとりで解決していかねばならない立場にあったとき、この原点ほど重要なものはありません。前述の通りです。
私はこの「原点」によって数々の難問をくぐり抜けてきました。 この原点を知っていたから、今日までやってこれたと思っております。
ですから、この基本手技によって、その原点を作ってほしいと思うのです。
素直に圧をかけ、ストレスなくその圧が浸透していく・・
これこそがまさに単純にして深遠。誰でも出来るが誰もが出来ない。全ての技の中でもっとも簡単でもっとも難しい。
2000年に及ぶ東洋の英知が凝縮され、フォーカスされた基本手技です。
基本手技には述べてきたような背景があるということを是非、頭に入れて、授業に臨んで頂きたいと思うのです。
そしてその感触、感じを掴んでほしいのです。
掴んだら、それがあなたの原点になり、何にも代え難い財産になるに違いありません。
授業の進め方
この授業は施術の仕方を覚えるものです。
難しいことは言いません。
うつ伏せでの施術
横向きでの施術
仰向けでの施術
述べてきたように自分の身体のリキみを取って素直に圧をかけていく方法を覚えていきます。
手順としてはtextに基づき、施術の見本を見せます。そしてそのとおりやってもらいます。
それをみながら、問題点があればそれを指摘し修正します。
まあ、大体良いだろうというところで、今度はその習っている生徒さんをモデルにし、同じ部位を施術してみます。
するとちょっとした気付きがあるはず。
このようにして、少しづつ進んでいくわけです。
もちろん、あとで復習する時間も当然あります。
復習すればするほど上手になっていきますよ。
どうしてもイメージが掴めない場合があれば、また見本の施術をしてみせ、本人の身体でも体感してもらうことを繰り返します。
このように手間暇かけてやりますと、素人でも最後のほうは見違えるように上手になっていくものです。