かねてより私は、肩こりや五十肩、或いは腰痛や膝痛などといった一般的にありがちな症状を高い確率で治すことができず、難病系ばかりを追いかけている一群の施術者達をオカルト系施術者と呼んで軽蔑してきた。
肩こりや腰痛をスゴイ!と言わせるほど緩和させる技術なくして、なんたらかんたり症候群がどうしたこうしたなどとよく言えたものだな、と。ましてや癌が治る、癌を治すに至っては無責任を通り越して詐欺に近いとさえ思っている。
以上は、ことある毎に述べてきたことであるが、だからと言ってリフレパシー整体が難病系に無力かというと、全然そんなことはなく、むしろ巷の「難病系を治します」を謳っている流派など足下にも及ばせない実力を備えていると自負している。
癌を数回の施術で消したこともあるし、レイノー症候群で苦しんでいたクライアントを十回に満たない施術でほぼ寛解せしめたこともある。
末期癌、膠原病、重度の内臓疾患、病名が付かない原因不明の症状・・・むしろ私の施術家人生は難病患者との戦いであったかもしれない。
しかし当然ながら、期待に応えることが出来ずに申し訳ない思いをしたことも数知れないのである。ゆえに難病を謳い文句にしないだけの見識が備わってきたといえよう。
それはそれでさておいて、何故、私が難病に対峙し得たか?
今回はその理由を述べておきたく、筆をとった次第である。
数多くの難病と言われる病を患っているクライアントを診てきた経験から一つ気付いたことがある。どのクライアントも首がオカシイのだ。
特に後頭骨底面から上部頚椎(環椎、軸椎)、そして下部頚椎(6番7番)に異常が見られることが多い。ある者は指を受け付けないほどガチガチであったり、ある者は左右のバランスを著しく欠いていたり。
そこで、その部分を緩めるべく、努力することとなる。技法自体も様々に研究した。例えば上部頚椎付近などはスラスト一閃で相当に緩むことが分かったので、それらの技法を磨いていった。
しかし、その部分だけを緩めてもあまり効果がない。やはり人の身体は有機的なつながりを持っているのだ。
もっと総合的に、もっと違う部位からのアプローチはないものか・・・様々な方法を模索して現在の方法論に落ち着いたのだが、ここに至るまで非常に時間がかかっている。
緩める方法を模索しているうちに、さらに気付いたことがあった。ツボ的な部位よりもむしろ、筋腹や腱の部位でより緩むということを。
『なんだこれは?まさにトリガーポイントではないか!』と感心した覚えがある。そして、その体系から眺めてみると、実に効率のよい緩めるポイントが浮かび上がってくるのだ。
TPは様々な痛みを沈静化させるポイントであることは周知の事実だが、身体を緩め血流を回復させる極めて重要なポイントでもあることも分かって、非常に効率が良くなった。後頭下筋群TP、頭半棘筋TP、僧帽筋第1TP、肩甲挙筋CTP・・・etc。これらは全ての症状を緩和させる鍵となるのである。
首を緩める方法が確立したところで、クラニアル・マニピューレーションの威力が俄然増してくる。そう、はやり難病系は頭蓋が閉じているのである。しかし、首を最大限に緩めることなくして、クラニアル・マニを施してもその効果は限定的である。持って生まれた卓越したヒーリング能力があれば別だが・・・
逆に平凡な能力者であっても、首を緩めきる実務を身に付け、ゆったりした5グラムタッチ手技を頭蓋へ施すだけで、その影響力は天賦の才に恵まれたヒーラーを上回ることさえある。これは私が実証済みである。
つまり、首から肩にかけて人が施し得る限界まで緩めることが出来、かつ頭蓋の微調整を行うことによって、巷にいう難病、奇病、原因不明の愁訴等と対峙してこれたのである。
この方法を暗中模索の中で確立し、そしてシステム化し、誰でも学ぶことができるように体系化する作業は難事中の難事、まさに困難を極めたといっても大げさではないと思う。
クライアントが悲鳴をあげるほど足を揉めば良いという単純なものであるなら、誰も苦労はしない。真理は決して複雑なものであるとは思わないが、安易であることと、シンプルであるということは全く違うのだ。体系化された中で、前回のブログで述べた"意"を尽くし、施術するなら、誰でもきっと良い結果が得られるに違いないと確信する。
ところで、増永師もフルフォード博士も「術者の確信が患者に影響を与える」と述べている。東西の巨人が奇しくも同じ結論に達しているということは、 一つの真理であると考えて間違いあるまい。
しかし、なんの根拠もないのに確信など得られるものではないし、もし得られるという人がいれば自分の頭の病気を疑ったほうがよいくらいだろう。普通は根拠なしに確信など得られないものだ。
その確信とは手技法家に限っていえば自身の手指で感じ取るものであるはずだ。
ガチガチorガタガタの首や肩がバターのように柔らかく、生ゴムのように弾力を取り戻していく・・・このような感覚を得たときに「確信」めいたものが芽生えるに違いない。あるいはセメント袋のような無機的な頭蓋の感触が、まさに生きていることを実感させる躍動感を感じさせるものに変化したことを手指で感じたときであろうか。
このような経験を少しでも多くの施術者に味わってもらいたい。そして、クライアントから多くの感謝とリスペクトを得てもらいたいのである。
明生館塾の使命はそこにあると思っている。