対談-気のリフレクソロジー

 

★連載初稿-2005年1月15日

 

山崎:こんにちは。今日は宜しくお願いします。

 

武田:こちらこそよろしく

 

山崎:早速なんですが、今ほど、癒しブームの時はないのと思うので        す。ちょっとした街の繁華街には必ずといっていいほど癒しのサロンがありますし、また、種類も足揉みあり、アロマあり、タイマッサージあり・・と一昔前では考えられないほど多様な形態といいますか、まあ、種類がありますね。先生は長年この業界に身を置いてきて今の現状をどのように考えますか。

 

武田:そうですね。確かに過当競争気味の感がしないでもありません。しかし、基本的にはいいことだと思いますよ。競争にさらされるということは、技術やサービスが向上するということです。これは市場経済の鉄則ですからね。お客様にとっては選択肢が広がっていいことではないでしょうか。

 

山崎:これだけ多いと一体どれがいいのか・・選択する基準といいますか、迷うんじゃないですか。

 

武田:実際は迷わないんじゃないですか(笑)。通退勤の途中にある利便性のよいところや、自宅の近くにあるところなどを覗いてみて、自分に合ったところを贔屓にするというパターンが多いようです。或いは、休日に良く出かけるところの近くを贔屓にしたりと・・要するに自分の感性にフィットするようなサロンが近くにあればいいわけですから、そう言った意味で、店や店の種類が多いというのはいいことだと思うわけです。癒し系が好きな人っていますからね。

 

山崎:今、癒し系の好きな人が多いとおっしゃいましたが、何故なんでしょう。需要があるから増えるということは当たり前のことですが、何故、需要が多くなったんでしょうね。

 

武田:それは山崎さんの専門じゃないですか。釈迦に説法みたいなことになってしまいますが、施術をする立場から言うと、はやり、疲れていますよ、皆さん。勿論、昔から疲れている人は多かったのでしょうが、今は特にそんな感じがします。不景気な時代が長すぎたのかな。とにかく、歪みの深い人が多いですね。

 

山崎:歪みが深い?

 

武田:失礼、業界用語みたいなものです。

 

山崎:分かりやすく説明してくれますか?

 

武田:う~ん、分かりやすくと言っても、背景には東洋医学的な素養というか知識が必要なんですが・・ ・

 

山崎:そこをなんとか。

 

武田:そうですね、やってみましょう。歪みというのは物理的なものだけをいうわけではないんです。

 

山崎:背骨が曲がっているとか、首が曲がっているということだけではないということですね。

 

武田:そう、それも勿論、歪みのうちには入りますよ。しかし、もっと広い意味がある。

 

山崎:どのような?

 

武田:簡単にいうと体質の偏りでしょうか。東洋医学では陰陽のバランスと言いますが、このバランスが崩れたとき、病気になるとしています。しかし、陰陽のバランスと言っても、身体に当てはめた場合、漠然とし過ぎて、何がなんだかわからない。病態として捉えられないわけです。

 

山崎:確かに・・それでは余計分からなくなる。

 

武田:そこで、邪気論というのが出て来るわけです。

 

山崎:邪気?読者にはもっと分からなくなりますよ。

 

武田:まあ、慌てないで下さい。この時点では普通の人にはわからないですわね。業界の人でさえ、よくは分かってないでしょうから。

 

山崎:邪気とかいうと引いてしまう人がいますよね。こう、なんというかホラー的というかオカルト的というか・・ ・

 

武田:東洋医学の欠点なのかもしれませんね。用語が古過ぎる。しかし、意味するところは用語が古いというだけで、決して合理性がないというわけではありません。

 

山崎:ではそこのところを是非、現代人にも分かる言葉でお願いします。

 

武田:要するに、人が健康でいるためには、「流れ」が滞ってないことが必要と考えます。この流れには三つあって、一つは「気」、一つは「血」、一つは「水」です。普通、東洋医学では「気・血・水」の理論と言います。

 

山崎:気・血・水ですか。確かに、今盛んに「血液サラサラ」効果などを謳い文句にしている食品やサプリメントが随分増えてきました。これなどはイメージできますね。

 

武田:そうですね。「血液サラサラ」が健康の基本だと考えられ始めたということです。実際そうですから。脳の疾患、つまり脳溢血や脳梗塞、さらに心臓病なども煎じ詰めれば、血管の病気ですからね。これら、いずれも死因の上位に上がられている病気です。脳の病気、心臓の病気と分けられていますが、結局、血管の病気ですよ。流れが悪くなることによって引き起こされる。若し、本当に血液サラサラの状態を維持できれば、疾病リスクは激減するでしょう。

 

山崎:気・血・水のうち、「血」は我々がイメージできる「血液」と考えていいのですね。

 

武田:気・血・水の「血」は実はもうちょっと、広い概念を持っています。でも、このことに言及しますと話が前に進みませんので、「血」は血液の流れと捉えていいと思います。そう言った意味で「水」もリンパの流れと考えていいと思います。

 

山崎:血液がサラサラで、リンパの流れも円滑である。これが健康な状態であると言われれば素人でもイメージできます。ところで、気・血・水というくらいですから、気の流れというがあるのですか?

 

武田:そう、それがこの章のメインテーマになるわけで、邪気論に繋がっていくわけです。古代中国人は、日本人もそうですが、「血」や「水」を推動させるある種のエネルギーを想定しました。それは目には見えないけれど、生命全般を円滑に働かしめているある種のエネルギーなんですね。たまたま、それを「気」と呼んだわけです。この「気」というものは、日本では特にそうですが、心のエネルギーでもあると捉えました。「気持ち」「気が塞ぐ」「気分」は心の状態を指しているわけです。心の動きによって身体の調子も変動するということは日常よく経験することでしょう。

 

山崎:では気の流れとは心の動きということ?

 

武田:いいえ、心の動きによって左右はされますが、心そのものではありません。逆に身体の調子が悪いと心が憂鬱になるでしょう。だから、心と身体を繋ぐある種のエネルギーなんです。

 

山崎:ちょっと分かりづらいですね。心と身体を繋ぐもの?エネルギー?自律神経系の働きに似ていませんか。

 

武田:そうです。自律神経系の働きによく似ているために、後世の学者は「気」とは自律神経系の働きであって、古代人はその知識がなかったため、誤解したものだと・・言っている人もいる。

 

山崎:自律神経でないとすれば、証明は不能になりますね。

 

武田:残念ながら・・・・これこそが「気」というものの実体だ!という科学的な根拠はありません。近年、気功ブームもありました。気で人を飛ばしたり、手を当てて病気を治したりという現象が広く知られるようになりましたよね。それで、ちゃんとした科学者が研究をし始めていることは確かですが、現在知られている物理的なエネルギーで説明できるものではないようです。しかし、科学は現在の水準がピークであって、将来、新しい発見がないということを断言する人はいないでしょう。ですから、現在の水準で特定できないからといってそれは“ない”ものだというのも乱暴な話だと思うのです。現実に現象としてあるのですから。

 

山崎:気の存在証明について議論していきますと、キリがありません。ここは古代人の叡智をひとまず信用しまして、先に進めたいと思いますが・・ ・・

 

武田:結構です。キリがないというより袋小路に入ってしまいますものね。

 

山崎:それで、気の流れがあるとして、それが滞るということもある?

 

武田:そうです。それが邪気です。

 

山崎:そうすると、気の流れというものがあって、その流れが「血」や「水」を引っ張り動かしていく、先生は推動という言葉を使いましたが、根本的に気の推動作用が衰えると、「血」や「水」の流れに影響を与えるということなんですね。その推動作用を低下させている状態が邪気というわけですか。何か悪いものが溜まっているという感じなんですか。

 

武田:滞っている状態そのものを邪気といいます。当然、滞っていれば、流れのない溜まった水が劣化し腐っていくのと同じように、邪気もまた、エネルギーとしては変質していきます。

 

山崎:それは分かるものですか。

 

武田:感覚的には弱い電流が走るような感じがします。指先に感じたりすることが多いのですが、極端な場合は腕から側頭部にかけてザワザワっとシビレのような感覚が走ります。

 

山崎:ほう、それは施術者なら誰でも感じられるのですか?

 

武田:個人差はありますが、施術を長くやっていると誰でも感じるでしょうね。

 

山崎:では施術を受ける人はどうですか?感じます?

 

武田:響きとして感じます。施術をしますと、肉体的に響きを感じる人が多いものです。その響きこそが邪気の排出であり、滞りの解消のあかしなんですね。

 

山崎:確かに、先生の施術を受けたとき、足を押されているのに脇腹に響いてきました。なんとも不思議な体験でしたが、あれが邪気の解消なんですね。解消という間接的な作用で邪気を感じたということですか。

 

武田:そのとおりです。鍼の世界、特に日本の鍼ではこの響きを極めて重要視します。鍼が好きな読者なら、この感覚はよくお分かりになるのではないかと思います。うまくツボを当てられたときにドーンとくる放散するような感覚ですね。あの感覚が響きであってそれを如何に出させるか、苦心しながら鍼を打つのが腕のいい鍼師ということです。

 

山崎:しかし、先生は鍼を使わず、手だけで、しかも足の裏を押してその感覚を与えることができる。私も色々と癒しの技の体験がありますが、あんなことは初めてでした。

 

武田:実はそのことが「歪みの深さ」という最初のテーマに繋がっていくわけです。

 

山崎:というと?

 

武田:歪みの深さは物理的なものだけではないといいましたよね。結論を言えば、邪気の深さなんです。邪気が深いところにあると、ツボが深すぎて、というよりもツボの口が閉じている感じなのですが、容易に響が起きないのです。

 

山崎:では、足の施術で響きが起きた私はまだ歪みが浅いと言えるわけですか。

 

武田:そうです。昔はかなりお体を悪くされた方でも、響きを感じ取れたものですが、今は響きを感じ取れる人が少なくなっています。糖尿病など慢性疾患の方でも、頭のテッペンまで響いたという人が結構いて、施術が楽でした。響きさえ起きれば、改善も早くなりますから。

 

山崎:現在ではそうではないと?何故なんでしょうか?

 

武田:う~ん、食生活、ストレス、ライフスタイル、薬物の安易な摂取・・等々じゃないのでしょうか。

 

山崎:新潟大学の安保教授が「ストレス、消炎鎮痛剤、ステロイドなどにより交感神経の緊張を招き、リンパ球を減少させ、免疫力を低下させる」と述べていますが、関係するようですね。

 

武田:「東洋医学的な治療は強力ではあるが、薬物摂取による激しい交感緊張の前には無力である」とも述べていますね。主に癌のことを言っていると思われますが、臨床実感とも一致する貴重なご意見だと思います。いずれにしましても、現代社会は歪みが深い人が多いのです。芯から疲れている人達と言ってもいいでしょう。

 

山崎:それで癒しを求める人が多くなっているということですね。しかし、先ほどからのお話をお聞きしておりますと、そこら辺の癒しサロンではあまり解決にならないのではないでしょうか?歪みが深いわけでしょう。歪みの深さは邪気が深いということでもあり、邪気が内向しているということでもあると。そうすると響きを起こさせてその邪気を取り除いて上げなければならないわけですね。先生でも苦戦するような人達がリラクゼーション程度の施術で良くなるとは思いませんけど。

 

武田:同業他社の批判は差し控えるのがこの世界の掟ですから(笑)

 

山崎:先生の立場ではいいづらいこともあるでしょうけど、もう少しハッキリさせたいと思います。気・血・水の流れが健康の根幹に関わるということですよね。血・水についてはイメージできます。他の癒し系サロンでもマッサージ的なことをされれば、血の巡りが良くなったり、ムクミが解消されますもの。しかし、その根本に邪気があるのでしょう?それを除去するような施術が必要なのでは?それにはある種の響きを与えねばならない・・・ということですよね、まとめると。しかし、そんなリフレにも整体にもあまりお目にかかったことないですよ。先ほど、鍼などでは重要視した現象とおっしゃいました。私も鍼にはよく行くほうですが、確かに響きは起きることがあります。しかし、そんなに頻度は多くない、滅多にないです。私は先生の施術を受けて初めて響きを実感したのですよ。しかも足の裏で。それから本当に体調が良かったわけです。ですからこうしてインタビューを申し込んだんです。先生の施術は全く別物と言わざるを得ません。

 

武田:まあ、そう言ってくれると嬉しいのですが、他の施術が意味がないというわけではありません。それなりに癒され、楽になるわけですから。とにかく、疲れを溜めないことですからね。限界を超えると病気になるわけですから、その前にちょっとでも楽になればいいわけです。ちょうど竹を曲げて限界点よりほんのわずか手前なら、元に戻るでしょう。それを過ぎると折れて元に戻らない。そう言った意味で、身体のケアーをするということはいいことだと思います。ただ、根本的にはやはり響きを与えたほうがいいことはいいのです。

 

山崎:まあ、これ以上は追及しないでおきましょう。私も他の仕事が来なくなってしまっても困りますし(笑)では、ちょっと話題を変えて、先ほど、響きが起きずらい人達が増えているとおっしゃいましたね。そんなとき先生はどうするのですか?

 

武田:響きが起きるところを探します。足で起きなければ、首。首でダメなら腕と言う具合にね。

 

山崎:それでも起きない場合は?

 

武田:諦めます。

 

山崎:ええっ、諦めちゃうんですか(笑)

 

武田:そうです。諦めちゃいます。人間、諦めが肝心です(笑)

 

山崎:じゃ、救いにならないじゃないですか!

 

武田:あとは患者さんの考え方次第ですね。私としては響きが起きるまで、継続して施術したいわけですよ。折角、来られたわけですし・・また、継続することによってツボが浮いてくる、つまり、響きが起きやすくなるわけでね。そこまでやりたいのです。

 

山崎:それまで待てない人が多いということですか?

 

武田:現代人はせっかちですから。

 

山崎:勿体無い。

 

武田:結局、そういうことです。その人が信用するかどうか。こればかりはこちらでコントロールするわけにはいきません。だから、患者さんの考え方次第ですと言ったわけです。一応、説明はしますが・・ ・

 

山崎:なるほど、そういう意味でもこの対談を発表する意義があるわけだ。

 

武田:そうですね。ちゃんとした活字になっていると信用度が違(笑)

 

山崎:信用度という意味でも、響きというものが本当に邪気を排出するという根拠を示さねばなりませんね。これは先生の経験則から生まれたものですか?

 

武田:違います。経験は理論を補強するものであって、経験だけでは狭い範囲でしかモノを考えれません。響きについては黄帝内経に記述があります。

 

山崎:黄帝内経ですね。一般の人はその読み方も知らないと思います。どのような書物なのか、分かりやすく説明してくれますか。

 

武田:「こうていだいけい」と読みます。ちょっと特殊な読み方ですが、お内裏様(おだいりさま)とか言うじゃないですか。読み方は「こうていないけい」でもいいように思いますが、そんなことは問題じゃなくて、この書物の内容です。これが面白いのです。

 

山崎:面白い?

 

武田:なにせ、世界最古の医学書ですから・・中国医学のバイブルみたいなものです。今から約2000年前に編纂されたと言われています。

 

山崎:2000年前というと、日本はまだ邪馬台国の時代にも入ってないですね。

 

武田:さすが中国4千年(笑)冗談じゃなく、中国は非常に古い時代から高い文明を持っていたわけです。その傍証にもなる書物ですね。この書なくして東洋医学も有り得ません。今でも東洋医学を学ぶ者にとっては古書ではなく現テキストとして読まれています。中国医学の体系はこの黄帝内経をもとにしているわけです。

 

山崎:そんな古いものが役に立つものなのですか。現代医学は数年前の知識が古くなって、使えないなんてことがザラにありますよ。

 

武田:そこらへんを詳しく説明すると、それだけでこの本の紙幅がなくなってしまいますから、ごく簡単に述べます。東洋医学は全体の医学、今風にいうとホリスティック医学なんですね。西洋医学は死体を解剖して臓器を調べ上げ、さらにその働きについて解明してきました。言ってみればパーツ(部品)の医学です。それに対して東洋医学は生きている人間にしか興味を示しません。ある意味、生の人間を直感的に全体像として把握しようとした医学と言えるでしょう。この特徴は医学に限らず、東洋的な思想にあるような気がしますね。ですから、医学というより哲学的なものですね、東洋医学は。少なくとも科学ではありません。しかし、科学ではないからと言って有効ではないということにはなりませんよ。2000年前に編纂されたと言っても2000年前に突如として出来上がったものではなく、それまで営々と人間というものを観察してきた集大成みたいなものですから。

 

山崎:その集大成がある時点でなされた。つまり2000年前ということですね。

 

武田:まあ、古代中国人の叡智の結晶です。とにかく、病気は困るわけですよ。いつの時代でも、どこの地域でもね。だから、真剣だったと思いますよ。いかに健康で長生きするかは普遍的なテーマでしょうから。ともあれ、この黄帝内経という書物は西洋医学とは全く異なるアプローチの仕方で病気になる原因やその治しかたを追求したものと言えるでしょう。それと現代人より昔の人のほうがはるかに直感力があったと思います。真摯に学ぶべきではないかと思いますね。

 

山崎:人間観察の集大成ですか・・有用な気がしますね。感覚的にですが・・ところで黄帝という人物は伝説的な中国の名君ですね。

 

武田:そうですね。黄帝内経が編纂された時期よりさらに3000年前に活躍した君主だったらしい。

 

山崎:ということは今から5千年前だ。その人物が書き残したわけですか?

 

武田:いえいえ、まさかその時点で3000年前の人物が言ったことが正確に伝わっていたとは思えません。実在さえ疑わしいと言われています。私はモデルになった人物はいると思いますがね。黄帝自身は関与しようはずもないですよ。

 

山崎:では何故、“黄帝”内経なのでしょう?

 

武田:先ほど言いましたように古代中国人が営々と積み上げてきた知恵の結晶なのです。さて、それをまとめるあげるのに際して、何か権威みたいなものが必要と考えたのではないでしょうか。名も知らぬ正体不明の人物が著者であるより、黄帝の名を用いたほうが箔がつく(笑)。なにせ、治水と医学では神様みたいな伝説的名君ですから。この対談も私の名ではなくて、ノーベル医学賞を受賞したような人物の名のほうが絶対話題になるでしょう(笑)

 

山崎:じゃ私も誰もが知っている大物ジャーナリストの方がいいですね(笑)しかし、今も昔もあんまり読者心理は変らないのが面白い(笑)

 

武田:出版社心理かも知れない(笑)

 

山崎:話が横道にそれました。その黄帝内経は確か問答形式の書物ですよね。

 

武田:そうです。一部例外はありますが、ほとんど問答形式ですね。黄帝の主治医である岐伯(ぎはく)との問答が多いようです。黄帝が問いかけ、岐伯が答えるという形か、黄帝の部下である雷公(らいこう)が問い、黄帝が答えるという形ですね。

 

山崎:この本も問答形式ですね。東洋医学的には正当な形式ということになるのでは?(笑)

 

武田:形式だけは・・・そう言えば、仏典も問答形式が多いですね。あっ、段々恐れ多くなってきましたよ(笑)

山崎:いやいや、後世に残るようなものにしましょう(笑)ところで、その黄帝内経なんですが、どのような形で響きや邪気に触れているのですか?

 

武田:黄帝内経霊枢、刺節真邪篇第七十五というところが代表的な記述ですね。日本語訳で少し引用してみましょう。「前略~聴宮を刺針して、針のひびきが目の奥にきたらそれまで聞こえなかった耳が聞こえるようになると同時に、術者にもそれが聞こえるのであります。~中略~邪気を刺しあてたときは、その病人の声が針に伝わって、術者にも聞こえるのであります~後略」(築地書館―刊)

 

山崎:ほう、聴宮というのは耳のすぐ前のツボのことですね。そこから、針を刺して目の奥には届かないですね、物理的に。仮に届かせたとしても、それじゃ目が潰れてしまいます。ということはこの日本語訳のとおり、響きが起きてそれが目に感じたと解釈するよる他ないわけだ。しかも、邪気を刺しあてたとき、病人の声が針を伝わって術者に聞こえる?ですか。先ほど先生が言われた邪気を感じるというにも通じますね。

 

武田:このような千年単位で生き延びた古典というのは、ただ読むだけでは本当のところが分からないのです。実際、自分で追試と言おうか、体験と言おうか、そういうものがあったとき、初めて実感として「なるほどなぁ~」と心から納得するものなのです。邪気があるとかないとか論争しても意味がないんですね。自分の実感と患者さんの改善の実感が全てなんです。逆にいうと、そのような実感をもった術者や患者さんが無数にいたから、価値が見出され、古典として残っていったのでしょう。後世の審判に耐えてきたわけです。でなきゃ、とっくに捨て去れているでしょうね。

 

山崎:いや、私も患者の立場でよくわかりますよ。だって響きましたもの、本当に。しかし、明快に記述されているのですね。2000年前にとは・・恐れ入りました。

 

山崎:それにしても、先生は鍼ではなく手技ですよね。しかも足の裏だ。何故というか、どうして足なんですか。

 

武田:足の施術家になったのはなり行きですね。もっとドラマティックな出来事があったほうが面白いのでしょうが。事実は本当に成り行きですよ。昔、1980年代の半ばくらいに空前の足裏健康法ブームというものがありました。

 

山崎:ええ、覚えてます。棒でこする痛いやつ。

 

武田:それですよ。たまたまその健康法の唱導者にお会いしたのがキッカケです。台湾の方でした。その時、とても新鮮に感じたのが「反射区」という考え方です。足ツボマッサージとか単に足揉みとか略して言ってますが、正式には足の反射療法というわけです。従いまして、ツボではなく反射区という部位を操作することになります。これは初めて聴く言葉でした。にも関わらず、語感がいいせいもあるのか、耳に馴染みやすい。しかもどこか知的な香りのする言葉でしょう(笑)

 

山崎:足の反射療法・・・確かに専門的な感じがしないでもありません。個人的には足ツボ療法でも味があっていいような気がしますけど。

 

武田:反射区とツボは全く概念が異なります。ツボというのは機能系なんですね。つまり、何々に効くツボ、とかいうじゃないですか。それに対して反射区というのはズバリ実体臓器を示す言葉です。例えば腎臓の反射区、すい臓の反射区、脳下垂体の反射区・・等々です。

 

山崎:ツボは機能系なのに対して、反射区は位置系ですね。全身の実体臓器を足裏などに投影させている。

 

武田:その通りです。実体臓器ですから、名前も覚えやすい。ツボ名は読み方さえ分からないものがある。昔々からあるものですからね。そのほとんどは物凄く古臭い感じがする名前です。さらに何々に効くといってもそのツボ名から想像することはできません。反射区は簡単です。腎臓の反射区という名前がついていれば、そこを押すと腎臓に効くんだなぁとか、胃が悪い人には胃の反射区を刺激すればいいのかぁとかね。知的な香りがする割には(笑)、簡単です。さらにツボの位置というのは分かりづらい。なにせ点ですから。反射区は区域ですので、ある程度、面積を持たせている。ということで、症状に対してもどこを刺激すればいいのか特定しやすいですし、刺激する場所も面積があるため、ツボのような厳密性がいらない。こんな考え方があるのか!!という素朴な感動がありましたよ。

 

山崎:なるほど。それでハマッタ!(笑)

 

武田:まあ、そうですね。そして、見よう見まねでやってみるとこれが結構効くわけですよ。

 

山崎:例えば?

 

武田:最初は知り合い等からですかね。勿論、お金なんか取れません。まあ、ボランティアみたいなものでした。そのうち、たまたま、温泉ホテルの支配人が知り合いだったものですから、試しに温泉で有料でやることになりました。これが好評でしたね。今考えると間違った自信なのかもしれませんが、自信がついたことは確かです。

 

山崎:現在ではちょっとした温泉ホテルや健康ランドなどで足揉みのコーナーを持ってないところはないですね。その当時はそういうものってあったのですか?

 

武田:私の知る限りでは全くありません。多分、日本初だったのではないかと思いますね。1990年頃の話ですから。今から15年前にもなりますもの。

 

山崎:日本初ですか!じゃ、お客が来るかどうかも分かりませんでしたよね。勇気が要りましたでしょ。

 

武田:それが全然です。そんなに悲壮感漂うような覚悟でやったわけではありません。まあどんな反応があるか・・来てくれるかくれないか・・そんな実験的な気持ちでした。支配人が知り合いという気楽さもあったのでしょうけど。

 

山崎:それが手応えを感じた?

 

武田:そうです。夕方から夜中まで予約でパンパンでね。ようやく最後のひとりが終わって、自分の身体の疲れを取るために自身が温泉に入って帰ってくるという感じです。今から考えると楽しかったです。温泉につかりながらその日の充実感を噛み締めるというか・・ ・

 

山崎:ビジネスとしてはどうですか?いける!という感じがあったのでは?

 

武田:ええ、勿論です。足揉み、足だけのマッサージって皆さん、知らなかったですからね。全員が足揉み初体験でしたもの。それでも、興味をもって来てくれるし、連泊しているお客様などはリピーターになってましたからね。ただ、私自身これをビジネスに結びつける発想はなかったです。自分の修行みたいに捉えていました。自分の中で完結させていたわけです。

 

山崎:勿体無い!

 

武田:勿体無いといえば勿体無いかな?その頃から、事業家としての目を持って市場開拓に励めば、今頃リーディングカンパニーとして左ウチワだったかも(笑)。でも、後悔は全然してないですよ。事業家には事業家のセンスが必要ですから・・自分にはそのセンスはなかったと思いますし。なにより自分の経験を積むという志向性が強くてね。職人的なんでしょうね、きっと・・・おかげで随分と経験させて貰いました。施術家としての第一歩を踏むことができたということで有意義でした。こうして段々ハマッテいって抜けられなくなったということです。だから成り行きといったわけですけど・・ ・

 

山崎:武田先生と話していると、気取りがなくていいですね。いつも思うのですが正直です。ざっくばらん過ぎるくらいです。他の療法の創始者と対談したことも何度かありましたけど、ちょっと身構えるところがあって疲れる(笑)

 

武田:人間が軽いんでしょうかね(笑)カリスマ性が全然ない(笑)

 

山崎:いやいやとんでもない。先生のお書きになった論文や随想などがこのHP上でも公開されていますが、もの書きの端くれとしていつも感心しています。こういってはなんですが、施術者にしておくのが勿体無い(笑)。非常にしっかりした文章をお書きなる。一体、どんな先生なのか、会ったことがない人は近寄り難い感じさえ受けるんじゃないでしょうか?会うとざっくばらんで、この落差がいいですよ。

 

武田:書くだけにして人と話するのは止めようかな(笑)。それじゃ仕事にならないですけど・・・

 

山崎:さて、いよいよ、足証整体についてお聞きしたいのですが。今、先生は最初に感動を受けたという「反射区」という概念さえ使っていませんよね。しかも、足だけではなく全身的に診られる。経験の中で変遷していったわけですか?

 

武田:反射区を全然使わないということはないですよ。まあ、主たるものではない事は確かですが・・・どちらかというと従です。リフレの入門コースとプロコースは反射区を教えますからね。足の操作として反射区療法は分かりやすいですし、入りやすいわけです。

 

山崎:ずーっと反射区療法一本でやっていくという選択肢もあったのでしょう。それがどうして変ったのか知りたいのです。

 

武田:分かりました。なるべく簡単に説明しましょう。

 

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★ 連載 2  2005/2/7

 

山崎:前回の続きです。よろしくお願いします。

 

武田:反射区というものに対して素朴な感動があった、という事は前回お話したとおりです。しかし、やっていくうちに様々な例が出てきた。

 

山崎:例えば?

 

武田:反射区は実体臓器を表わしている。これがツボとの大きな違いです。これも前回お話しましたよね。さらに付け加えると、反射区は足裏の特定の部位が身体の特定臓器と特異的に結びついているということになります。ということは、足裏の特定部位の異常が身体の特定臓器の異常を表わしているということになりますよ。まあ、足裏診断ですね。

 

山崎:素人は必ず聞きますよね。テレビの司会者なんかも必ず聞きます。「足で身体の悪いところが分かるんですか?」って。

 

武田:そうですね。必ずと言っていいほどそういう質問が出ます。足を揉んで痛いところがあればその反射区に対応する臓器に問題がある、ということでこれを有痛診断と言います。しかし、痛みというのは感受性の部分がありますから、痛がりはどこを押しても痛がりますし、感受性が鈍いといっては失礼ですね、まあ、痛みに強い人はさほど痛がりません。ということであまり有痛診断は客観性がないという反省から、痛みという主観的なものを取り除いて反射区自体の腫れとか色とかで判断しようとする無痛診断というものが生まれました。いずれにしても反射区が身体の特定臓器と何らかのつながりがあるという前提にたっているわけです。有痛、無痛を問わずね。

 

山崎:なるほど、それで分かるのですね。身体の異常が・・・

 

武田:そんなに簡単ではありません。当る時は当りますよ。しかし、当らないときは全然当らない。普通、当らないときは症状に表れていない未病状態だと説明します。検査で引っ掛からない状態のときでも足には異常が表れるのですよ・・と。

 

山崎:う~ん・・・

 

武田:今、う~ん・・と山崎さんが唸りました。そう、そのう~ん・・の意味を代弁しますと、逃げ道を常に用意しているんじゃないか!ということになりますよね。

 

山崎:まあ、そうです。

 

武田:当るときと当らないときがあって、当らないときには逃げ道を用意している・・これって占いじゃないですか。私は占い師になりたいわけではないのです。決定的なのは逆の場合です。西洋医学的に完全に病気だと診断されていて、悪い臓器が疑いもなく存在しているのに、その反射区には特に異常を感じられないという場合がある。これってなんでしょう?

 

山崎:反射区そのものに疑念を持った?

 

武田:端的にいえばそうです。しかし、見事に異常を表わしている場合もある。これには悩みました。あるのかないのかハッキリしてくれ!!(笑)

 

山崎:東洋医学的な体質診断と違い、反射区の場合の異常指摘は個別臓器を指しますね。とうことは当る時と当らない時があるというのはその事実だけで、使い物にならないということになりますね。

 

武田:そうです。アマチュアが趣味でやっている分にはいいでしょう、それでもね。しかし、一応プロなわけでしょう。占い師と区別がつかないようなことはしたくない(笑)

 

山崎:今の言葉は武田先生の人間性が出ていますね。

 

武田:それと、反射区という考え方をとれば、刺激量によってのみ、その効果が増減することになります。ツボは気を動かす人体の窓口みたいなものですから、自ずと適圧というものがある。強すぎてもツボを潰す・・反射区にはその考え方はありません。

 

山崎:なるほど、実体臓器に間接的に影響を与えるという考え方ですものね。

 

武田:そうするとどうしても強い刺激にならざるを得ない。極端に言えば、棒でゴシゴシと擦るくらいです。また棒を使わなくとも、指の関節部を使って棒で擦るに等しい刺激を与えることになる。

 

山崎:確かに、初期の足もみは痛かったです。この刺激がいいんだ!といってハマッていた友人もいましたが・・・

 

武田:まあ、それで改善して、満足される方はいいでしょう。しかし、本当の病人は耐えられませんよ。かえって悪化する場合もある。また、良くなった人でもそういう刺激の仕方では再発したときに治せないのです。これは経験ですけどね。

 

山崎:なるほど。それでもう一度、足揉みというものを考え直した?

 

武田:その通りです。本質的に、抜本的に見直す必要があると思ったわけです。

 

山崎:欧米系のリフレのように優しく気持ちよく・・という考えにはならなかったのですか?

 

武田:なりませんでした。刺激の強い、弱いではないと思いましたから。欧米系のリフレがブレイクしたのは、ある意味、中国系リフレに対するアンチテーゼみたいなものではないですか。痛いほどに効くという考え方と、気持ちよくリラックスさせれば良いという考え方の違いですよね。当然、その折衷型も考えられるわけですが。

 

山崎:折衷型とは痛気持ちいい、という刺激の仕方ですね。確かに折衷型ではパラダイム転換にはならないですね。同じ土俵の上だ。

 

武田:そう、そのパラダイムシフトをやりたかったわけです。大それたことなんですが・・・しかし、本質的な見直しはある種のパラダイムの転換を要求される。だから、もう一度、サラな気持ちで見つめ直そうと思ったわけです。反射区の存在をも含めてね。

 

山崎:興味ありますね~。で、どのように考えたわけですか?

 

武田:まず、基本的に人間の身体を支配する原理はたった一つではないということです。これには同意していただけますでしょうか?

 

山崎:私は同意しますが(笑)読者は分からないでしょう、意味するところが。もう少し具体的にお願いします。

 

武田:要するに、筋肉が痛む人という症状の人もいて、鼻水が止まらないという人もいて、内臓が悪いという人もいる。それぞれに原因が違うわけです。それをたった一つの方法で治すということは、たった一つの原理に支配されてということになります。たった一つの方法で存在する全ての病気に対応できる療法ってあるでしょうか?薬でもいいですよ。水虫にもガンにも胃潰瘍にも糖尿病にも効くたった一種類の薬があるでしょうか?ないなら複数の原理によって支配されているということですよ。

 

山崎:反論ではないですが、自然療法家はその人の持っている自然治癒力を引き出すことによって治癒させるわけですから、自然治癒が起きる方法という意味で、筋肉痛にも糖尿病にもガンにも効くという方法論はあり得るのではないですか?

 

武田:そこなんですよ。自然治癒力という便利な言葉でなんとなく分かったような気がしますが、では、自然治癒力を働かせる方法論はたった一つでしょうか。これだけ様々な療法、療術が世に溢れています。それぞれに改善効果あると謳っています。また体験談もある。ある人は、例えば、山崎さんのご友人のように、メチャクチャ痛い足揉みで改善される人もいるでしょう。しかし、その一方でその方法では全く改善が見られない、どころか、悪化する人もいるわけです。ということは、自然治癒力と一括りにしていますが、実はその人に合う療法、合わない療法というのが自然療法においても存在する。ということは、やはり支配原理は一つではないということになります。

 

山崎:まとめると、自然治癒力を引き出して治すという一般論じゃなくて、具体的にどのような自然治癒力の発動があったかということを言いたいわけですね。それを考えていくと人体を支配する原理は一つではないということになるわけだ。

 

武田:そうです。どのような原理が働いて自然治癒が起きたのか、ということです。リフレクソロジ―という一つの療法で健康状態が改善される人たちがいて、では、その人達はどうして治ったのか?どのような力が働いて治ったのか?、ということをもう一度根本的に考え直そうという発想なのです。今のところ、足を揉むという行為によって働く自然治癒原理は五つほどあると考えています。

 

山崎:五大原理ですね。リフレクソロジーの五大原理ですか。興味深いテーマですね。簡単で結構ですから、ご説明願いたいのですが。


(次回へつづく)

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★ 連載 3  2005/2/20

 

山崎:五つほどの原理が考えられるということでしたね。

 

武田:先に言ってしまうと、一つは「循環原理」、二つ「反射原理」、三つ「全息胚原理」、四つ「経絡原理」、五つ「足心原理」、ということになります。

 

山崎:なるほど、簡単にひとつづつ説明して下さい。

 

武田:分かりました。最初の「循環原理」は分かりやすいと思います。要するに足を揉むことによって血液循環が良くなるよ、ということですから。これには誰も異存のないところではないでしょうか。若い頃から、この原理を嫌というほど聞かされ続けてきました。

 

山崎:何故、足なのですか?循環を良くするにはコッたところを重点的にやったほうがいいのでは?例えば肩とか腰とか・・・

 

武田:人は直立して活動しますので、どうしても下肢に滞留がおきやすい。特に座りぱっなしの状態で仕事をするとか・・・運動不足の状態ですね。この運動不足が続くと本来、血液なり、リンパ液なりを心臓へ押し戻しているミルキングアクションというシステムが働きづらくなってきます。そして、夕方には足のムクミとして感ぜられる人が多いという実態があるわけです。血流とリンパ流は連動していますから、体液全体の循環が阻害されるということなんですね。それが特に足に起きやすいので足を重点とするわけです。

 

山崎:足は身体の中で最も血流なり、リンパ流なりが停滞しやすい部位だと・・なるほど。しかし、肩がパンパンに張っていれば当然そこを解してほしいというのが人情ではないでしょうか?

 

武田:よくわかります。ただ、足揉みは民間療法ではありますが、療法の端くれですから凝っているところを揉むという対症療法的なものだけで済ますわけにはいきません。もっと本質的なものを考えるわけです。循環原理に付随して言われるのが老廃物排出原理です。

 

山崎:老廃物排出原理?

 

武田:足は最も体液が滞留しやすい部位ということですから、老廃物もまた滞留しやすいわけです。困ったことに長い間にその老廃物が足裏に沈殿付着していく。

 

山崎:足に老廃物が沈殿する?で、その老廃物にはどのようなものがあるのですか?

 

武田:主に尿酸結晶と言われています。

 

山崎:尿酸値が高いなどとよくいうアレですか?

 

武田:そうですね。勿論、それだけではありませんが、主なものとしてはそういうことです。

 

山崎:そういえば、尿酸値が高いことで起きる「痛風」という病気は足、しかも末端である拇趾に症状がでる。

 

武田:まあ、そういうことです。比重的に重いものは滞留すれば下に沈むのが自然の摂理ですからね。

 

山崎:では足における循環原理というのは、老廃物の排泄をも意味しているということですね。足は体液循環がもっとも悪くなりやすい、そして循環が悪くなると、老廃物が沈殿し、さらにそれが循環を悪くさせている。一般にいう悪循環ですね。

 

武田:ご理解が早いので助かります。そのとおりで、その悪循環をどこかで断ち切る必要がある。ということで足を揉む重要な意義があるのです。肩だけを揉んでも、腰だけを揉んでも対症療法的なものであるにすぎないと、足底療法家、リフレクソロジストは考えるわけです。

 

山崎:そうすると、足を揉むことが一見遠回りのようでいて、一番身体の体液循環を良好にする近道ということですか。しかも、身体に沈殿した老廃物を追い出すこともできる・・なるほど・・言われてみれば合理的です。この原理だけでも価値がありそうですね。

 

武田:ですから、最初にお話した台湾の足底療法研究家の方は、この循環原理(老廃物排出原理)を全面に打ち出していました。この原理を主に考えると、足裏のスジや内在筋に付着した沈殿物をこそげ落とすかのように、棒で一定方向に擦るわけです。

 

山崎:だからあういう揉み方になるわけですか・・なるほどねぇ・・・

 

武田:揉んで揉んで揉み潰せ!みたいなキャッチフレーズでしたね。しかも、日本人が大好きな「万病一毒説」とも通じていてこの方法は一世を風靡しました。本もベストセラーになりましたよ。足揉み系の本としては空前にして絶後の発行部数でしょうね。なにせ正編、続編合わせて100万部を軽く超えましたから。第一次足揉みブーム到来の火付け役でした。

 

山崎:しかし、痛い!まるでノゲイラに関節技をかけられたような痛さだ。(笑)

 

武田:ノゲイラに関節技をかけられたことがあるんですか(笑)

山崎:すいません。ないです。でも他のプロレスラーに取材中、関節技をかけられたことがあります。それはもう意識がぶっ飛ぶような痛さで・・・(笑)

 

武田:それに匹敵するような痛さですか・・山崎さん、よほど痛がりなんですね(笑)でも分かるような気がします。

 

山崎:話をそらさせて申し訳ありません。でも、一つ目の循環原理はよく分かりました。足は体液循環を促進するに、もっとも合理的な部位であるということですね。循環さえ良ければ、相当に体内環境が整い、自然治癒力が発動しやすくなる。病気予防にも効果的ですね。でも痛いなぁ~

 

武田:まだ言ってますね(笑)

 

山崎:すいません。一種のトラウマです(笑)循環原理の次はえ~と、反射原理でしたか。その反射原理についてご説明お願いします。

 

武田:足を揉む意義というのは体液循環を良くするだけではありません。刺激療法ですから当然、反射という現象がおきます。

 

山崎:足の反射療法というくらいですから、反射区の存在根拠にもなりますよね。

 

武田:いえ、違います。反射原理は反射区の存在根拠にはなりません。

 

山崎:えーっ!?反射区の存在根拠にならない?

 

武田:そうです。なりません。身体のどこを押しても反射現象というのはありますよ。でも、私が反射区に疑念を持ったのもそこなんですよ。反射現象があるのは分かる。しかし、繰り返しになりますが、足の特定部位と身体の特定臓器が特異的に繋がっていて反射が起き、臓器を活性させるというのは少しおかしいのではないかと・・と思ったわけです。反射現象というのは神経を媒介としますが、では逆にどのような神経経路を辿るのか?これを解剖学的に生理学的に説明することは不可能です。まだ、その経路が発見されていない、というレベルではありません。むしろ、そんな考え方は解剖、生理の世界では完全に否定されるのです。

 

山崎:西洋医学の土俵に乗って説明する以上、その体系の中で否定されるような説明はいくらなんでもおかしい、ということですか・・・

 

武田:その通りです。反射区の存在証明は、少なくとも、西洋医学で肯定できない代わりに否定もできないという原理で説明しなければなりません。つまり、西洋医学とは全く違った体系をもつ原理で、ということです。唯一、それを説明できるのは後に述べる全息胚原理だけなのです。

 

山崎:分かりました。全息胚原理のところでまた詳しく説明して下さい。まあ、反射区の存在証明にはならなくとも、反射という現象はある、ということですよね。それで、足を刺激することによって、どのようなことが身体に起きるのですか。

 

武田:当然、自律神経に影響を与えます。自律神経に影響を与えるということは、内臓へも血流へもひいては精神へも影響を与えます。

 

山崎:どのような揉み方で、どのような場合ですか?

 

武田:先年、亡くなりましたが、元名古屋大学の総長で参議院議員も勤めてらした高木健太郎博士という方がいました。この方は日本を代表する反射学の世界的権威でした。高木博士の出世作というか、代表的な論文に「皮膚刺激による自律神経への影響」というものがあります。これは証明論文として、非常の評価されているものなのですが、結論だけを言いますと、「小さな面積で鋭く変化する圧力」での刺激がもっとも自律神経への影響が大きいというものです。

 

山崎:小さな面積で鋭く変化する圧力・・・う~ん、なにか、また、痛い臭いがしてきまたよ、それって・・・(笑)

 

武田:ホントにトラウマですね(笑)。しかし鋭い考察です(笑)

 

山崎:小さな面積で変化する圧力というのは、例の棒で擦る方法を連想させるではないですか。

 

武田:そう、あの方法が期せずして、自律神経に最も影響を与えていたわけです。

 

山崎:えーっ!ですね。やっぱり痛いのは我慢しなければならない?

 

武田:まあ、結論を急がないで下さい。自律神経と一口に言っても交感神経と副交感神経がある。そして、この交感、副交感は互いに拮抗関係にあることはご存知でしょう。

 

山崎:一種のシーソー関係ですね。どちらかの神経が優位に働けば、もう一方の神経は抑制的になる。同時に両方の働きが高まるということはない・・・

 

武田:そうです。自律神経への影響といっても、副交感への影響なのか交感への影響なのかを考えなければなりませんね。ところで、「鋭く変化する圧力」というのはどちらへの影響が強いと思います?

 

山崎:分かってきました。どう考えても交感神経への刺激のような気がします。

 

武田:そうですよ。交感神経への刺激が最大になるということです。交感神経は大概の方がご存知の通り、活動、活力の神経です。戦闘モードの体内環境を作り出す神経ですよね。活力がなく、やる気の起きない状態や、疲れを感じてダラダラしてしまうのは戦闘モードに入ってはいないわけです。そこで、人為的に活を入れるとシャキッとして疲れが抜ける。

 

山崎:なるほどね。そのような理由であの痛い足揉みでもハマル人がいるわけだ。

 

武田:高温サウナに入って、その後、冷水風呂に入るのが大好きな人がいるのと同じようにね。やってもらっているときは痛いのですが、終わったあとの爽快感がたまらないという人達です。足は丈夫で安全な場所ですから、揉み返しみたいなものがなく、後に尾を引くことも少ない。安心して痛い思いができる(笑)。しかも、人の身体というのは強い交感緊張のあとには必ず反動として副交感優位がやってくる。一種のリバウンドみたいなものですね。そこで、痛い施術をして貰ったあと、その晩など、爆睡状態になって翌日スッキリ!なんて人もいて、ますますこの方法が気に入る。要するに、人為的な強い交感緊張を招くことによって、交感、副交感のバランスを調整しているということになります。

 

山崎:ではやっぱり痛いのがいいことになるではないですか。老廃物も外に出せて、自律神経の調整もできるということですよね・・・

 

武田:冒頭にもいいましたが、この方法には欠点があります。病人や老人、子供には向きません。つまり東洋医学でいう虚証タイプですね。充分に体力があって、強い交感緊張に耐えられる人、つまり実証タイプの人にはいいですが、虚証の人はそもそも交感緊張するゆとりがない。身体を休息させて、副交感優位状態に入っているのが病人の身体状況なのですけど、その状態を人為的に変えるのは自然の摂理に反しています。だから耐えられずに、この方法だと悪化します。

 

山崎:う~ん、確かに、サウナなどには「血管系の持病がある人はご遠慮下さい」という注意書きが張ってあったりしてますわね。

 

武田:高血圧、心臓病は絶対ダメですね。サウナは・・そうでもなくても、風邪でフラフラの状態のとき、サウナに入る気がします?

 

山崎:しませんねぇ~。なるほど、おっしゃっている意味は分かります。ところで、副交感神経に働きかける方法というのはあるのですか?

 

武田:勿論、あります。逆のことをやればいいわけで、圧を安定させれば副交感反射が起きます。

(次回へつづく)

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★ 連載 4  2005/3/7

 

山崎:ということは副交感優位に導けるということですね。

 

武田:そうですね。指圧の原理です。古方按摩といってもいいでしょう。もともと、古方按摩は病人を相手にした治療術だったわけで、そこでゆっくりと押圧して適度に圧を安定させていた。病人の安静状態を邪魔せずに自然治癒力を発動させていたわけです。按摩の「按」は手へんに安んずると書きますから、按摩のうちの按法がこの副交感優位に導く主たる技法だったのでしょう。逆に按摩のうちの摩法は磨くに通じますから、すばやい動作で連続的な動きを連想させます。「変化する圧力」という表現がピッタリです。これは実証タイプの人に用いられていたのでしょうね。

 

山崎:按法と摩法が合わさって、按摩になった?そういう意味でしたか。

 

武田:もともとはですよ。日本においては按摩博士という役職が奈良時代に作られている。歴史も古いですし、ちゃんと病人に合わせた技法というものがあったということでしょうね。ただ現在は江戸時代に盲人専業になって、按法のない按摩になった。これが西洋のマッサージ理論と結びついて、マッサージなのか、按摩なのか見分けがつかない状態ではあります。

 

山崎:指圧は按摩の中で忘れ去れた按法に特化したものということですか?

 

武田:極端な言い方をすればそうなります。病人に対する治病術としての見直しから、大正時代に指圧と言う言葉が作られ、流布していったものです。いわば原点回帰ですね。ただし、この指圧も現在では圧勾配を使っていて、これまた安定的な圧を忘れている。

 

山崎:圧勾配とはなんですか?

 

武田:圧を常に変化させながら押すという技法です。つまり、ゆっくり入れて、ゆっくり離す、という感じで、どの時点をとってみても安定させることがない技法です。まあ、単純推圧である按法の特徴は残していますが、しかし、安定圧がないために不完全です。

 

山崎:では現在の手技では副交感に導くものがない?

 

武田:いや、そうでもないのですよ。単に副交感優位に導くだけなら、安定圧でなくともできます。圧勾配を使おうと、マッサージ的なテクニックを使おうとね。

 

山崎:というと?

 

武田:極めて熟練した手の動きがあれば、副交感優位に導くことができる。力の入れ具合にもよりますけど。基本的に適圧であって、リズミックな動きで連続性があれば、非常に心地よく感じるはずです。

 

山崎:同意します。サウナマッサージでもやたらに上手な人がいますものね。確かに律動的で心地よい。眠りに入ってしまいます。気がついたら終わっていたなんてことがあって、損した気分になる(笑)

 

武田:欧米系のリフレクソロジーはこの類で、副交感優位に導くわけです。

 

山崎:なるほど。同じ流派のリフレでも施術者によって、かなり気持ちよさの違いはありますものね。変化する圧力であっても、適圧で律動的でリズミックな手技であれば副交感優位になるわけか。そうすると、さきほどの実証タイプの人には交感緊張を与える中国系の施術を行い、虚証タイプの人には欧米系の柔らかく、せいぜい痛気持ちいい程度の刺激で、しかも熟練したリズミックな手技を施せば良いということになる?つまり、中国系と欧米系の揉み分けみたいな・・好みに応じてやってあげる?


武田:自律神経反射という原理の中だけで考えると、そういうことになります。事実、中国系リフレと欧米系リフレの両方を教えます、という宣伝文句で生徒募集しているスクールもある。これはこれでいいでしょう。しかし、何度もいうように反射原理だけで自然治癒が起きるわけではありません。支配原理は複数あるわけですから・・・その2元論的なものだけではパラダイムの転換にはならないでしょう。

 

山崎:そうでしたね。五大原理の途中でのお話でした。お客の好みに合わせるというのは、確かにサービス業の鉄則ではありますが、療法家としての主体性がなさ過ぎる。ポリシーの欠如だ。(笑)

 

武田:慰安、娯楽ならいざ知らず(笑)。いやしくも療法、療術ですから・・・

 

(次回へつづく)

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★ 連載 5  2005/3/12

 

山崎:では、いよいよ全息胚原理ですね。 まず、全息胚というのは活字にすると、読み方が分からない人がいる。

 

武田:「ぜんそくはい」と読みます。これは中国語をそのまま輸入して音読みしたもので、あまり一般には知られていない言葉ではありますね。日本の療法家の間ではむしろ、ホログラフィー理論とか、ホログラフィック・パラダイムとか呼ばれているものです。

 

山崎:科学ジャーナリスト、アーサー・ケストラーの「ホロン革命」で有名になった理論ですね。

 

武田:さすが、その分野はお詳しい。しかし、「ホロン」の概念とは少しだけ違う部分もある。それは追々お話するとして、実はこの全息胚原理は太古より、中国医学の根幹として使われていたものなのです。

 

山崎:具体的にいうと・・?

 

武田:主に診断ですね。全息胚というのは読んで字の如く、全ての消息(情報)が胚(部分)に集約されているというものです。つまり、全身の情報は身体のある一部分で知ることができるよ、ということになり、実際、それを実践してきたわけです。例えば、鍼灸師がよくやる脈診などは、脈の速さ遅さを計っているわけではなく、両手首の合わせて10cmにも満たないような部位で全身の五臓六腑の変動を知ろうとしています。西洋医学的には全くナンセンスなこの方法で何千年も診断してきました。勿論、脈診だけではありません。舌に五臓六腑を配当させて、その変動を読み取ろうとした舌診、中国の漢方医がよくやる目の中に全身を見出して、個別の臓腑の変動を知ろうとした眼診、顔自体にやはり五臓六腑を配当させた顔診・・などなど挙げればキリがないほどです。

 

山崎:この発想はかなり東洋的な発想ですね。

 

武田:マクロコスモスたる「宇宙」とミクロコスモスたる「人」・・・ミクロコスモスたる「人」にマクロコスモスたる「宇宙」が全て包含されているという思想からでしょうね。仏教でいう宇宙即我、我即宇宙というところから、全体と部分の関連性を発展的に考えたものだとも言えますね。もとを辿ればインド思想なのかもしれません。

 

山崎:ともあれ、部分は全体を代表していると・・・部分は全体を構成している単なるパーツではない、部分の中にすでに全体があるという考え方を身体にも当てはめた。

 

武田:そうです。その思想だと、理論的には身体のどんな部分からも全体の情報を得ることが出来るわけですね。

 

山崎:しかし、面白いですね~。最近じゃないですか、細胞の一片でもあれば、そこのDNAから全体を復元できるということが理論的にはできると知らされたのは。

 

武田:映画のジェラシックパークで有名になったですよね。あの映画のように恐竜の血を吸った蚊の中から血液を取り出して、恐竜を復元するなんて、技術的にはまだ不可能でしょうけど。しかし、一個の細胞に全体の情報が詰まっているということが分かってきて、全息胚的な考え方にも通じていると・・・注目が集まってきていますね。

 

山崎:でも、全息胚の全体像については、科学的な説明は寄せ付けないですね。科学ではなくて哲学ですからね。

 

武田:最終的には科学の分野ではなくなります。しかし、科学の分野じゃないからと言って、有効じゃない、ということにもなりません。科学は限られた分野のみに説明が有効なわけで、全息胚は経験則によって発展し体系化されている。科学の土俵にあがるつもりはありません。

 

山崎:先に先生が言われた西洋医学では肯定もできないかわりに否定もできない、という分野ですね。そして、反射区の存在根拠はこの全息胚原理に求めるより他ないともおっしゃってました。

 

武田:そうです。神経反射に反射区の存在根拠を求めれば、科学の土俵ですから、その中で議論しなければならない。そして否定される。じゃ反射区というのはないのか?経験では危ない存在ですが、“ある”としかいいようのない反応がある。

 

山崎:しかし、一方で“ない”ような反応もある(笑)。この折り合いをどうつけるか。さて、どうつけます?

 

武田:今までの全息胚の説明でお分かりのように、身体のどんな部分にも全体の情報が集約されいるわけです。ですから、目に中に全身を見出しても間違いではありませんし、もう少し広げて顔全体に五臓六腑を配当してもいいわけです。或いは、耳を全身に見立てて、治療する耳診法があってもおかしくはないのです。ですから、両足裏全体を全身に見立ててそこに臓腑を配当しても、全息胚の原理から言えば、なんら不思議ではない。しかし、全息胚の基本原理というのはどんな部分にも全身の情報があるということですから、押したその一点にすでに全身を含んだ情報があるということになります。

 

山崎:なるほど・・・

 

武田:そうすると、たとえば、足裏を全身に見立てた場合、腎臓の位置がほぼ確定されます。腎臓でなくとも、なんでもいいのですけど・・例として腎臓を取り上げて説明しますが、その腎臓の反射区は先に説明したように面積を持っているわけですね。さらに奥行きというものがあって、反射区自体は立体で存在していることになります。しかし、その腎臓の反射区の区域の中にさらに全身の情報があるということになるわけです。つまり、押圧したその場所自体に全身の情報が含まれているわけです。両足を全身に見立てた場合、勿論、反射区の設定は間違いではありません。つまり、腎臓の反射区は存在します。しかし、クドイようですが、その中にもさらに全身の情報が含まっているのです。

 

山崎:ちょっと、整理しますね。読者のために。先生は足の特定の部位が特定の臓器に特異的に繋がっているということに対して疑念を表明されましたよね。今の理屈でいうと、それは特異的に繋がっているものではなく、どんな部分にも全身の情報があるため、身体全体に影響を与えつつ、かつ主に腎臓への影響を持つというのが腎臓の反射区の存在意義だということですか。

 

武田:そうです。それが腎臓でなくともすべての反射区について言えるわけです。

 

山崎:逆に、反射区異常の感知についても同じことが言えるわけですね。

 

武田:その通りです。確かに腎臓の反射区の異常は臓器としての腎臓異常が多いわけですが、反射区という区域の中に含まれている全身の情報の中の何かが反応している場合もあるのです。

 

山崎:そうすると、見事に反射区異常が個別臓器の異常を表わしている場合もあるし、そうではなく、他の異常を表わしている場合もあるということになる。

 

武田:それが全息胚原理を適用したときの必然の帰結なのです。

 

山崎:う~ん。凄い!反射区の存在は神経反射では説明できず、かといって反射区は幻想でもない。しかし、存在を誇示してくれない場合もある。そして悩んだ!でも全息胚原理だと全て説明できるということですね。

 

武田:面白いことに、この全息胚原理と非常によく似た現象というか、装置がありましてね。3次元立体画像投影装置ですけど。

 

山崎:ホログラフィーですね。ここから、全息胚原理のことをホログラフィック・パラダイムと呼ぶようになったわけだ。基本的に私は文系人間ですから、その原理は詳しく知りませんが・・・

 

武田:私も文系人間ですので、技術的なことはよく分かりません。しかし、ホログラフィーを投影させる、写真でいえば、ネガにあたるものは我々の想像を超えていますね。

 

山崎:知っています。何かの本で読んだことがあります。そのネガにあたるものは、それだけだと何を映し出しているものかサッパリ分からないのでしょう。単なる縞模様にしか見えない。

 

武田:しかし。光を当てて映し出すと、ちゃんと人物なら人物が立体的に空間に浮かび上がる。全息胚原理とよく似ているのは、このホログラフィーネガを分割して映し出しても、やはり全体像を映し出すわけです。どんなに細かく分割しても全体像を映し出すわけです。もちろん、画像自体はぼやけてきますが・・しかし、全体像を映す。

 

山崎:どんな部分にも全体の情報が集約されている、という全息胚の原理そのものの装置ですね。そっくりです。

 

武田:比較的新しい装置ですよ。1960年代の半ばくらいに開発されたものです。しかし、よくそんなものが開発されましたね~世の中には頭のいい人がいるもんだなぁ。

 

山崎:まあ、そのうちSF映画のように、自宅で学校の先生が立体的に投影されて、その授業を受けるなんてことが実現できるかもしれませんね。学校が要らなくなる。

 

武田:本当ですね。多分、私達の寿命が尽きた後の話しでしょうが・・

 

山崎:そうそう、アーサー・ケストラーが提唱した「ホロン」という概念と全息胚の違いに触れていませんでしたよね。さほど関係のないことですが、簡単に説明してください。

 

武田:ホロン理論では、全体と部分が階層的につながっているという概念です。全息胚は「即」の概念で、全体即部分、部分即全体ということです。

 

山崎:う~ん、これはちょっと難しそうだ。かなり東洋哲学の素養が必要になりそうですね。まあ、これはいいでしょう。西洋人でも全息胚的な考えを持った人がいたということで・・・紹介に留めましょう。興味のある方は「ホロン革命」でも読んでくださればと思います。

 

武田:異存ありません。

 

山崎:ところで、循環原理を主体にした施術の仕方、反射原理を主体にした施術の仕方・・これについては少し触れていますよね。では、全息胚を意識した施術の仕方というのもやはりあるのではないですか。

 

武田:ありますよ。でも、これは「技法」という章を設けて、まとめて説明したほうが分かりやすいと思います。これから述べる経絡原理や足心原理とも関わってきますからね。

 

山崎:分かりました。では次にいきましょう。4番目の原理、経絡原理ですね。

(次回へつづく)

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★ 連載 6  2005/3/21

 

武田:経絡は東洋医学の真髄にして真骨頂です。しかし、これほど分かりづらいものもありませんし、議論を呼んできたものもありません。

 

山崎:確かに・・・経絡とは「経脈」と「絡脈」と合わせた言葉ですよね。よく我々が見かける経絡図や経絡人形で描かれているのは経脈を描いると聞いていますが・・・

 

武田:その通りです。経とは縦(たて)という意味ですから、人体を縦走する脈という意味で、道路で言えば幹線道路みたいなものでしょうか。一方、絡脈は縦横無尽に人体に張り巡らされている、道路で言えば、県道、市道みたいなものと言えますね。県道や市道も重要ですが、その機能麻痺による被害は局部的ですし、限定的です。幹線道路の機能麻痺は全体に影響を及ぼす、ということで経絡のうち経脈を描くことになった。実際、絡脈まで描くのは細かすぎて物理的に不可能ですからね、限られたスペースでは。しかし、人体に隈なく張り巡らされたある種の情報網であるということから、「経絡」と一般的に呼んでいるわけです。

 

山崎:で、なにがそこにあるのですか?

 

武田:なにもありません。

 

山崎:はっ?

 

武田:なにもないのです。少なくとも、解剖学的にはね。

 

山崎:びっくりしましたよ。解剖学的にボンハン小体という器官があって、それが経絡だという説が一時ありましたよね。しかし、それでは経絡の機能を説明するにはちょっと短絡的すぎるということで、あまり言われなくなっている。やはり、解剖学的に説明するのは無理という意味ですね。

 

武田:そうです。

 

山崎:東洋医学的にはどう説明されているのですか?

 

武田:気血の通る道ということになっています。

 

山崎:気血ですか・・・

 

武田:気血です。古来より気血の通る道とされてきました。「気」が通る道筋だけなら、気の道でいいような気がしますが、わざわざ、気血としています。そこに何かヒントが隠されているのではないかと思いますね。その実体に迫るには・・・

 

山崎:先生が気血水の理論を紹介した時、東洋医学でいうところの「血」は血液のことだけをさしているわけではない、もう少し、広い概念をもっていると言いましたよね。

 

武田:覚えて頂いておりましたか。そうなんですよ。血液だけなら、血管というものがあって、そこを通っているに決っている。いくら、古代人でも血液が通る道、つまり、血管を経絡に見立てる誤りは犯さないです。走行が違い過ぎる。東洋医学は西洋医学とは全然違う概念を持っていますが、古代中国人は解剖もちゃんと行っていますし。

 

山崎:へぇ~、解剖もしているのですか。

 

武田:前述の黄帝内経に出てきますよ。小腸の長さなんて、現代と寸分の違いもないほど正確に計測してますもの。ただ、前にも言いましたが、死んだ人にはさほど興味がないわけで、解剖的な知識を積み重ねるという方向にはいきませんでしたけど。逆にいうと、生きている人間だけに存在するものともいえますね、経絡は・・・

 

山崎:う~ん、難しくなってきましたよ(笑)。生きている人間だけに存在して、かつ、目に見えない「気」だけはなく、なにか物理的な実体を感じさせる「血」まで含めた通り道、即ち、気血の通り道としているわけだ。かといって気血の血は血液そのもののことをいっているわけではないと・・じゃ、なんなんですか!(笑)

 

武田:やはり血がヒントなんですね。普段、非常に説明が面倒なので、経絡は「気」というある種の生命エネルギーが通る道筋だよ・・くらいの説明にしておりますが、この際ですから、もう少し、詳しくお話します。

 

山崎:是非、お願いします。

 

武田:「気」というものはある種のエネルギーであって、目に見えないわけです。それだけだと、なにか不完全で、なんとでもとれる架空のものだということにもなりかねない。しかし、それは架空のものではなくて、実際存在するものだということを言いたくて、わざわざ気血とした。血は物理的に認識できるでしょう。しかも、赤い色までついている。物理的に存在しているんだけど、見えないし、死んだらなくなってしまうもの。でも生者には厳然とあって生命維持の基本を為しているものということを言いたかったんですね。それを気だけでなく、血という流れの代表的な物理的存在に仮託したわけです。だから、気血とした。

 

山崎:和尚さんと話している気分です(笑)

 

武田:禅問答ですか(笑)実際、悩みましたよ。私も気血の意味については・・で、結論からいって、指圧界の巨星とも言っていい故増永静人師の著作を読んで、目からウロコが落ちたんですけどね。

 

山崎:増永師ですね。手技法業界では必ずささやかれる名前ですね。どのようなことで目からウロコが落ちたんですか?

 

武田:増永師はまず、経絡というのは生命が持つ基本的な生命維持機能と定義しました。そして、生命が持つ基本的な維持機能である以上、人間だけではなくて、当然、他の動物もあるはずだと考えました。増永師の凄いところなんですが、経絡というものを最初から勉強して、経絡を知ったのではなくて、まず、臨床的に神経系や脈管系以外のある種の情報伝達器官の存在を確信していたのです。だから、体験が先にあったので、後に経絡説を知ったとき、それは、ツボとツボを繋ぐ単なる線、或いは、便宜上の描画だとは思えなかったのでしょう。いずれにしても、現実に存在する情報伝達器官だと思ったわけで、そこから、経絡の実体というか、存在意義を思索していったものだと思います。

 

山崎:武田先生は経絡とは「気血の通る道」という定義の中で、何故、「血」とわざわざ「気」のあとにつけて呼ぶのか?というところから、実体を持った何かではないかと思ったわけですね。増永師は臨床上の経験によって経絡説を知る以前に実体については実感されていたというわけですか。

 

武田:そうですね。私なんかより数段上の治療家でもあり、哲学者ですからね。京大を出られているくらいですから、相当、インテリジェンスが高い人なんですよ。ですから、探求するに耐えられる知性を備えていた稀有の手技療法家です。

 

山崎:生命体がもつ基本的な調節維持機能であれば他の動物にも存在する・・ということでした。

 

武田:そうでしたね。どこまでも遡って、ついには最も原始的な単細胞生物にも見られる現象であるはずだと・・そこから、細胞そのものの動きに着目した。単細胞生物は単細胞でしかありませんから、当然、神経系も脈管系も存在しません。それでも彼らは活発な動きをし、捕食し、生命を維持している。もし、生命35億年の進化の歴史が本当だとすれば、我々はあのアメーバから進化したことになる。そして、アメーバにも存在する生命調節系が今の我々にも存在する、というのが結論です。それは何かというと細胞自体の動き、つまり、細胞のゾル化、ゲル化、植物学でいう原形質流動という現象が経絡の本態である、ということになるわけです。要するに、神経系や脈管系を介在しない直接的な細胞間伝達であるということです。

 

山崎:神経系や脈管系が作られ、身体の機能の役割分担が行われるようになりました。これはかなり進化した生物に見られるものですが、人間もまた、生命維持系としては自律神経などでコントロールされていますよね。さらに、それを支えるかのように別ルートで細胞間伝達ルートがあると、いうことですか?

 

武田:そうです。普段は高次的、専門的な神経系や脈管系が目立って活躍していますが、緊急のときとか、病気のときにはこの細胞間伝達が活躍します。逆にいうと、細胞間伝達ルートが損傷を受けても、すぐには危機に陥らず、ジワジワと影響を与え、遂には発症するというタイムラグもあるわけです。

 

山崎:う~ん、細胞間伝達?確かに物理的には存在しますが、解剖学的に認められるものではありませんね。死ねば細胞の流動は失われ、単なるブラウン運動になってしまう。生者のみに存在し、解剖的には認められず、かといって架空のものではない実体を伴うという、先生が言われた定義に当てはまる。

 

武田:そうです。だから、目からウロコが落ちた。なるほど、細胞という現実にこの世というか、この身体にあって、しかも、その存在を捕まえることができない、さらに死ねばなくなる。単なる空想ではなく、実在する物質としてあるけど、血管や神経のように見えるものじゃない。つまり、細胞間を自ら流動しながら情報を次の細胞に伝え、そしてまた次の細胞に伝え・・と維持、調節している機能全体のことを気血の通る道とした「経絡」と呼んだわけです。

 

山崎:古代人がわざわざ気血とした意味・・それは現実の存在をアピールしたものということですか・・増永師の卓見によって、目からウロコが落ちたと先生はおっしゃいましたが、気血という一言でそういう発想になる先生もまた凄いなぁ。

 

武田:私が経絡の存在を確信したのは、やはり足の押圧からなんです

 

山崎:そうそう、リフレクソロジーの中の経絡原理ですものね。本題に入りましょう。

 

武田:足を擦るのではなく、深く、ツボの底に届かせるように按圧しますと、響きがおきます。勿論、個人差はありますが・・しかし、起きる人は起きる。そのとき、響きが起きるまでに若干のタイムラグが生じます。これが、神経系の刺激なら、即座に感じるはずです。痛覚などは秒速100メートルの伝達速度ですから、ほとんど瞬時に感じます。ところが、深い按圧で感じさせるものは痛覚とは違った、響きとしか言いようのないもので、まず感覚的に違うものです。しかも、按圧を中途半端で終わらせると、身体に感じてきている、或いは身体の中に入ってきている何か、気の動き見たいなものが途中で終わる。このタイムラグや感覚はまさに細胞間伝達による伝わり方としかいいようのないものなんです。

 

山崎:言われてみれば、そのような感じがしました。

 

武田:黄帝内経では80種類以上の気の分類をしていますが、その分類の一つの「気」の進む速度について触れている箇所があって、秒速30センチほどだとしています。ちょうどこれくらいの速度なんですね、感覚的に。勿論、「気」には色んな種類があって、もっと速度の速い「気」の種類もあるのですが、少なくとも、身体の中を進む「気」の早さは、これくらいの速度だとしています。細胞から細胞へと順次伝えていく速さは感覚的にこれくらいが妥当だと、本能的なものが告げていますよ(笑)。経絡は間違いなく、細胞間伝達です。このことを、体験的に感じまして、足を押しても経絡的作用があるな、と・・実感したわけです。

 

山崎:なるほど、しかし、足裏で感じたことなのでしょう。足裏には腎経という経絡が一経しか描かれていない。ツボは湧泉という経穴しかありませんし。

 

武田:そこなんですよ。足底療法家、リフレクソロジストはその事実によって、経絡に無頓着なんです。だから、反射区一辺倒になる。古典経絡図では確かに山崎さんのおっしゃった通りです。しかし、古典経絡図を絶対視してよいのでしょうか。あれは鍼灸のために構成されています。しかも、歴史の中で変遷を経ている。かなり、省略されていると思うのです。そのことを、再三出して恐縮ですが、増永師は明確な論理で述べられていて、自信を得たわけです。これは、もう増永師の著作を読んでもらうしかない。私が説明しても全部は説明しきれないですから。いずれにしても、古典経絡図は鍼灸のために省略されたものであるということです。ですから、足裏にも経絡はあるし、ツボもたくさんあります。

 

山崎:このことについては武田先生の実感が先にあったわけですね。そして、増永師の論述によって、益々、確信を持った。

 

武田:そうです。しかも、経絡の走向は人によって違うということも分かりました。簡単に走向が変りますよ。そもそも、細胞間伝達ですから、神経、血管のようにハッキリとしたものではない。もし、そのルートに損傷があれば、それを簡単に迂回しながら進みます。だから、同じ場所を押しても、山崎さんのように脇腹に響く人もいますし、腰に響く人もいますし、膝あたりで止まる人もいるわけです。或いは損傷のある場所に集中的に響く場合も多い。これは診断の重要な手がかりになります。

 

山崎:なるほど。いずれにしても、足、足のうらを押しても経絡的な作用はあると・・そういうことですね。

 

武田:経絡的な作用機序のことを専門的に「調経作用」といいますが、その調経作用もまた、リフレクソロジーの重要な作用原理の一つだと思うわけです。

 

山崎:武田先生の足裏図にはちょっと見慣れない名がならんでいますね。少陰とか太陽とか・・・

 

武田:三陰三陽図です。これは経絡の原型になるものなんです。経絡の発展過程において、腎経とか肝経とか臓腑の名を用いられたのはかなり後になってからだということが分かっています。その、臓腑の名がつく前の原型が太陰、少陰、厥陰、少陽、太陽、陽明、と6通りあって、後に手の太陰―肺経、足の太陰―脾経という具合に分けられていきました。

 

山崎:かなり専門的ですね。読者にはわかりずらいでしょう。

 

武田:慣れるとそうでもないのですが・・・確かに、経絡そのものにも慣れていないでしょうから、ましてや、三陰三陽は拒否反応がでるかも・・ですね。

 

山崎:どのような理由でこの三陰三陽・・これを採用したのですか。

 

武田:経絡反応点を探していくうちに、足裏の土踏まずに集中してあるということが分かったのですね、まずは。そして、それぞれ、12経ありますから、12通りの反応点を探っておったわけです。ところが、足裏は腹部と違って、面積そのものが小さい。どうしても、7ポイントしか確定できなかったのです。

 

山崎:三陰三陽+足心点ですね。これで7つになる。

 

武田:本当はもっと探求して督脈と任脈合わせて14ポイントの反応点を探り出したかったんですが、先ほど、言いましたように、経絡の走向は個人によって簡単に変りますし、実用的には7つほどのポイントでも困らないわけですから、三陰三陽理論でいいか、ということになったわけです。足は土台ですから、シンプルにいこうかと。

 

山崎:ある意味、原点回帰ということですか・・・

 

武田:あまり複雑にしても、療術の普遍性というものがなくなる。これはHPの施術雑感にも記して置きましたが・・三陰三陽は言葉のなじみがないだけで、慣れると分かりやすいものですよ。反射区刺激とは違った刺激の仕方をするという意味においても、三陰三陽図は必要かと思いました。多分、反射区をもとにして施術をしている施術者もこの三陰三陽で示される、症状や特性などを知ると、反射区理論では分からなかったようなことも理解できて、有用だと思って頂けるものと思います。読者のために、簡単にその特徴や適応を載せておきます。図そのものはこのHP上のどこかに載っているものを参考にして下さい。あくまで、一部ですからね。症状によって取穴するというのは東洋医学じゃない。その反応がある、言葉を変えていうと、響きのあるところが、重点となるということで、それは人によって違うということを理解して頂ければと思います。

 

少陰

該当臓腑(東洋医学的)

腎、心(腎と心は相克関係(水→火)にあり、心腎不交の特効区)

該当臓器(西洋医学的)

腎臓、副腎、脳下垂体、視床下部、骨髄、3,4番腰椎。胸腺、子宮、心臓他

作用と適応症

活力と生命エネルギーの湧出。血流の促進。精神面の安定。ストレスの対抗。老化防止。呼吸の安定(特に吸う息)。性欲減退。頻尿。中年肥り。ウツ病。腰痛。言語障害。急な精神的ショック。孤独、疎外感。耳鳴り。寝つきが悪い。手足の冷え。子宮の働きの低下。不妊症

 

厥陰

該当臓腑(東洋医学的)

肝、心包(肝と心包は相生関係(木→火)にある)

該当臓器(西洋医学的)

肝臓、脾臓、甲状腺、心膜、冠状動脈、腹部大動脈他

作用と適応症

精力減退。ストレス過多による交感緊張。疲れやすい。めまい。目のつかれ。身体が堅い。関節に力が入らない。頭痛。子宮筋腫。前立腺肥大。感情起伏が激しい。腰痛。過食と拒食。性欲減退と異常性欲。ノドの腫れ。胃潰瘍。十二指腸潰瘍。血圧の異常。メニエール症候群。姿勢の悪さ。顔面が赤い。掌のほてり。

 

太陰

該当臓腑(東洋医学的)

脾、肺(脾と肺もまた相生関係(土→金)にある)

該当臓器(西洋医学的)

胃、十二指腸、すい臓、小腸の栄養吸収機能、乳房、生殖腺、肺、気管支、ノド、皮膚

作用と適応症

各消化液を出す機能と飲食物から気に転換する作用(水穀の気)。

空気を気に転換する作用(宗気)。

口の中の異常(ねばり、渇き)。顔色の悪さ(土気色)。下肢前面の冷え。前腕の疲れ。

膝関節の異常。足関節の異常。過食。食欲不振。糖尿。背痛。腰の冷え。湿疹、。アトピー

喘息。鼻づまり。涙が出やすい(煙などが目にしみる)。痰。呼吸が浅い

 

 

 

太陽

該当臓腑(東洋医学的)

膀胱、小腸(膀胱と小腸は相克関係にある)

該当臓器(西洋医学的)

膀胱等泌尿器周辺の臓器。小腸。血管。5番腰椎。仙骨。

作用と適応症

少陰と陰陽関係にある為、ほぼ少陰の適応症と一致する。しかも、少陰の症状であっても先に陽である太陽区に異常が発見される場合が多い。

その他特有の適応としては、腹部?血による循環障害、冷え。特に腰の異常に特効的効果を発揮する。耳、目の働きの悪さ。頸部痛。肩、背のコリ。産後の肥立ち改善。開腹手術後の不調改善。しもやけになりやすい体質改善。生理不順。卵巣機能の改善。偏頭痛。下肢のしびれ。自律神経失調症。

 

少陽

該当臓腑(東洋医学的)

胆、三焦

該当臓器(西洋医学的)

胆のう、リンパ節、各膜(脳膜、網膜、鼻粘膜、胃の粘膜、胸膜、腸間膜、子宮内膜等々)

作用と適応症

厥陰と陰陽関係にある為、ほぼ厥陰の適応症と一致する。

免疫疾患、アレルギー、便秘、目の病気、難治性の疾患がこの区に現われてくることが多い。関節痛、筋肉の強張り。頭痛。眼瞼けいれん。頚椎の異常、ムチ打ち。

 

陽明

該当臓腑(東洋医学的)

胃(足証においては脾胃と一括して考えてよい)大腸

該当臓器(西洋医学的)

胃・十二指腸・すい臓・大腸・直腸・肛門

作用と適応症

分泌と排泄機能(乳汁、生理、排卵、便)

太陰と陰陽関係にあるため、ほぼ太陰と適応症が一致する

その他、風邪。のぼせ。鼻づまり。鼻血。

 

山崎:なるほど、確かにこれを見ると、反射区理論だけでは分からないことが分かりそうな気がしますね。全息胚説に基づく反射区理論と経絡説に基づく三陰三陽理論との融合でより確かな判断ができるということですか・・・

 

武田:経絡説をもとにすることによって、その技法が変り、「気」を動かすという概念が出てまいります。ですから、五大原理の中の経絡原理は次の足心原理と並んで、足証整体において、極めて重要な位置を占めているわけです。


(次回へつづく)

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★ 連載 7  2005/3/27

 

山崎:ではいよいよ大トリ、足心原理ですね。三陰三陽図の中にもありますよね、足心が・・ちょうど真ん中にある。足心ってなんですか?

 

武田:もともとは足裏の特に土踏まずを指す言葉です。ですから、私は足心区と言った場合は三陰三陽全体がある場所、つまり土踏まずのことを指して言います。そして、足心点と言った場合はその真ん中、図の通りの場所を指して言います。区と点で使いわけしているのです。もともとの出典は白穏という禅僧が述べていたもので、江戸時代まで遡ります。しかし、足心という言葉が白穏自身による発明語なのか、その前からあったのかは分かりません。

 

山崎:なるほど。先生はこの足心に大きな意味をもたせていますね。なにせ、足心原理という大きな括りにしている。しかも、原理の中では経絡原理と並ぶ重要な原理だと前の章でも述べています。どのような原理ですか?

 

武田:これがまたやっかいでね。本当は図があると、簡単に説明できるのですが、なんとかやってみましょう。まず、人間が真っ直ぐに立ったときに重力がかかります。その重力は・・ちょっと待って下さい・・やっぱり、図がないと読者用に説明するのは無理です。

 

山崎:う~ん、これは特殊な図ですね(図を見ながら)。これがないと、ちょっと説明が難しいかもです。逆に図があれば簡単に説明できるのですが・・どうしましょうかね。別の切り口で説明できますか?

 

武田:この対談が若し、製本されることがあったときにはこの図を載せて、説明するということにして、別の切り口でお話しましょう。

 

山崎:そうしたほうが良さそうだ。

 

武田:では別の切り口で。まず、私が足部操作によって経絡的な作用もあると確信したというのはお話したとおりです。実はもう一つ、気になっていたことがあるんです。

 

山崎:ほう、どのようなことですか?

 

武田:中国古代の思想家、荘子が言った言葉なんですけどね。

 

山崎:荘子ですか・・

 

武田:「真人は踵をもって呼吸す」という一節です。

 

山崎:真人はカカトで呼吸する?

 

武田:そうです。この場合、カカトじゃなくてキビスと読みますけどね。当時は「踵」を足裏という意味で使っていましたから、真のヒトは足裏で呼吸するものだ!という意味なんです。

 

山崎:真のヒトとはどう言う意味でしょうか?

 

武田:中国哲学的には深い意味があるのでしょうが、まあ、簡単に「心も身体も真に健康なヒト」という意味くらいとって下されば分かりやすいでしょう。

 

山崎:心身ともに健康な人は足裏で呼吸する・・深そうな、分からないような・・(笑)

 

武田:だけど気になる・・(笑)。文字通りの呼吸という意味ではないですよ。それは誰でも分かると思いますが・・実は、足裏を充分に施術をすると、ちょうど足心点あたりで微妙な動きを感じていました。

 

山崎:動きというと?

 

武田:ある種の脈動です。でもこれは血管の脈動ではありません。非常にゆっくりしたものです。呼吸よりもゆっくりですから。

 

山崎:脈拍でも呼吸による動揺でもないある種の動きですか・・それは誰でも感ずるものですか?

 

武田:施術者ですか?

 

山崎:ええ、素人施術者でも。

 

武田:う~ん。感性によりますが、少なくとも、それを感じようとして、一定の訓練をすれば、感じるはずです。

 

山崎:私でも?

 

武田:多分。

 

山崎:ちょっと、訓練を受けてみようかな・・いつも先生に施術を受けてばかりですからね。

 

武田:いいですよ。今日は対談を中止して私の足で感じてみましょうか?

 

山崎:やりましょう、やりましょう。

 

武田:山崎さんのそのノリが若さの秘訣なんでしょうね(笑)

 

武田:これくらいの圧力でじっと親指を安定させて下さい。(山崎氏の足心点を触りながら)

 

山崎:わりと軽めの圧なんですね。いつもツボにぐっと入ってくるのに慣れていますから・・あっあっ、なんか感じてきました。熱い感じが広がってきましたよ。同じ力ですか?

 

武田:ええ、全く同じ力で安定させてます。

 

山崎:へぇ~。こういう施術は受けていませんけど、先生から。

 

武田:今は見ただけでわかりますからね。余程分かりづらい人しか確認しませんので。

 

山崎:どうですか?動きが分かります?

 

武田:いつも施術していますから山崎さんの足は・・・動いていますよ。ちゃんとね。

 

山崎:私も真人かな~

 

武田:そこまではいっていません。様々なレベルがありますから・・では交代!

 

山崎:う~ん、硬いですね。

 

武田:見破られてしまいましたか。そう、私の足は硬くて押しづらいのです。

 

山崎:動きですか・・動きね~・・よく分からないなぁ~

 

武田:力が入りすぎていますよ、身体全体に・・もっとリラックスして、力を抜いて。

 

山崎:難しいですね。

 

武田:大丈夫ですよ。あぁ、今度は圧が弱すぎる。もうちょっと、力を抜いて指を若干沈める感じです。

 

(試行錯誤の約1時間後)

武田:いや~眠たくなってしまいました。すっかり癒されモードです。

 

山崎:こういうのってわりと得意なんですが・・難しいものですね。

 

武田:でも、感じたでしょう。

 

山崎:確かに、微妙なんですが、膨張と収縮みたいな動きを感じました。非常に微妙ですけど。

 

武田:初めてやって、微妙であっても感じるということは大したものです。感性がありますね。どうですか、施術家になりませんか(笑)

 

山崎:まあ、私は施術を受けるほう専門ということで・・充分満足です(笑)ところで、この感覚というは一種の自己暗示ではないですか。

 

武田:はい、自己暗示の場合もあるでしょう。ですから、あまり生徒さんには教えないところでもあるのです。自己暗示にかかりやすい人は結構いますからね。しかし、私も、自分の身体をコントロールするために、自己催眠系は熱心にやった経験がありますし、現在も欠かさず、一日一回はしています。だからこそ、その違いが分かるのです。自己暗示による無意識の施術者の動きとは違います。それは本当の動きとしかいいようのないものです。それに、動きを感じない人もいる。自己暗示なら、どんな人であれ、自分が勝手に感じるわけですから、そんなことはありせんし、仮に感じたとしても、その動き自体が人によって大きく異なる。これは自己暗示の範囲を超えています。まあ、自分でも随分検証したんですよ。

 

山崎:なるほど・・人によって異なるということですね。この動きが「踵で呼吸する」という意味なんですか。

 

武田:今はそう思います。

 

山崎:というと?前はそう思ってなかった?

 

武田:確信がなかったことは確かです。頭がおかしいのではないかと・・・(笑)

 

山崎:それが今は確信に変っている。転機みたいなものってあったのでしょう?

 

武田:直接的な転機はアンドルー・ワイル博士の「癒す心 治す力」という本を読んでからですね。

 

山崎:はい、自然療法家にはバイブルみたいな本ですね。私も読んだことがあります。上野圭一氏が訳されいる。名訳だと思います。読みやすいにも関わらず、格調の高さは失われていない。

 

武田:なるほど、そういう見方もあるのですね。同じ本でも専門によって観点が違うわけですか・・なるほどね・・・

 

山崎:論点がズレました。申し訳ありません。その本に啓発を受けたのでしょう。「真人は踵をもって呼吸す」そのことを先生は長年足を触って感じてらした。実感されていた。でも、今一、確証みたいなものがほしい。そんな頃、この本に出会って確信を持ったということですよね。

 

武田:そのとおりです。ワイル博士はある意味、現代医学に失望していた。そこで真の治 療家であり、自分を導いてくれるグル(指導者)を探して、世界中を旅して回ります。

 

山崎:しかし、見つからない。あるときは密林、ジャングルまで出かけて行ってグルを探そうとする。命がけですね。

 

武田:本当です。凄いエネルギーと言いましょうか・・・とても真似できません。

 

山崎:人々に影響を与えていく人というのはある意味、狂気じみた面がある。また、そういう面があって初めて人に影響を与えることができる。先生にもありますよ。そういった面が・・・

 

武田:ないですよ。極めて凡人です。まあ、常識人です。ダジャレが好きなどこにでもいる単なるオヤジです。

 

山崎:常識人であるということと、一面狂気があるというのは共存できますよ。

 

武田:まあ、私のことはいいとして(笑い)結局、ワイル博士は目指すグルには出会えなかった。しかし、ある日、自宅の裏庭で開業しているあるヒーラーの話を聞いた。

 

山崎:オステオパシー医であるフルフォード博士のことですね。

 

武田:もともと、ワイル博士はカイロプラクティックに代表される手技療法というのは好きじゃなかったみたいです。道楽で人の身体をもてあそぶような二流の医師というイメージがあったようですね。しかし、再三にわたって人からフルフォード博士に会うべきだと説得される。それで会った。そして、その治療法や考え方を含めフルフォード博士の存在そのものが今までの手技に対する見方を一変させたわけです。

 

山崎:先生はその本を読んで初めてオステオパシーという手技の存在を知ったのですか?

 

武田:名前だけは知っていましたよ。一応これでも療術家ですからね。しかし、フルフォード博士の存在やその全貌は知りませんでした。ですから、衝撃的でした。人生を一変させる書物というのはありますね。その衝撃は増永師の「経絡と指圧」以来のものでした。

 

山崎:「真人は踵をもって呼吸す」が俄然、真実として迫ってきたということですね。

 

武田:そうです。驚きましたよ。オステオパシーには1次呼吸と2次呼吸という概念がある。より、本然的な呼吸を一次呼吸と呼ぶわけで、これが頭蓋骨と仙尾骨で行われているという主張です。そして、その呼吸は微細運動として感知し得るものだとしている。詳しくはHP上でも「オステオパシー」という項目で載せているのでそちらを参照して頂くとして、とにかく、驚きました。私が足心で感じていたものと同じじゃないかと・・気の呼吸ですよ。

 

山崎:一次呼吸・・そうでしたね、確かに・・その一次呼吸が実際の動きとして検出されたのは1970年代ですよね。精密な測定機械で測定されている。

 

武田:それ以降、様々な研究機関が測定していますが、いずれも頭蓋骨縫合部分において微妙な呼吸にも似た動きを検出しているわけです。それは最大で250ミクロンだということです。

 

山崎:そんな微細な動きが人間の手によって分かるものなのでしょうか。しかし、その測定装置ができるはるか以前にそう主張していたということは、やはり訓練によって分かるということなのでしょうね。

 

武田:人間そのものが、その動きを増幅して感じる測定装置そのものだと思います。確かにミクロン単位の動きを感じるなんて、ちょっと信じられないかも知れませんが、物理的な動きを触知するというより、感情的に訴えかけてくるものとして感知できるのです。これは足心において臨床を積んでいたということと、増永師の著作を熟読していたという事情ですんなり理解できた。幸運でした。ある意味、これを感じるのに本当は訓練なんかいらないんじゃないかと思いますよ。経絡の流れを感じるのとよく似ていて、感じようとすればするほど感じなくなる。むしろ、素直に勘を働かせればいいわけで、気分的に感じるものです。ちょっと表現が大雑把過ぎますが・・・

 

山崎:私が足心で感じた微妙な動きは感情的なものとして増幅された動きを感知しているということですか?

 

武田:そうだと思います。ですから、感性があると、言ったわけです。さほどの訓練は要らないのです。わずか小一時間ほどで感じたでしょう。

 

山崎:よく分かりませんが、感性があると言われて悪い気はしませんね~(笑)

 

武田:ワイル博士自身もフルフォード博士から教えられて、頭蓋を触り、ある程度の動きを感知するのに成功している。基本的に誰にでも分かることなんです。しかし、現在の教育は左脳偏重みたいなところがあって、このような原始感覚に属するような感覚は非常に不得意になっている。しかも、分かろうとしなければ、ずっと分からないものです。

 

山崎:心あらざれば見れども見えず・・ですか・・なるほど。それで先生は頭蓋骨の動きも分かった。そして、それは足心の動きによく似ているという結論に達したということですね。オステオパシーでは頭蓋―仙骨の微細な動き、つまり一次呼吸と呼ぶものですが、その動きが減衰すると病気になるとしている。先生は足心の微細な動きも関係していると主張するわけですね。

 

武田:そのとおりです。勿論、病気の原因はそれだけではありませんよ。これは最初に言っていますので、これ以上言いませんが・・少なくとも動きが悪い人は病気になるということは確かです。これは自信を持って言えます。

 

山崎:う~ん、極めて慎重な物言いをする先生がこれほど自信を持って言うのですから、本当なのでしょうね。

 

武田:ありとあらゆる観点から照らし合わせて、真実だと思います。「真人は踵をもって呼吸す」とは単なる比喩じゃないのです。それを古代中国人は気づいていた。昔の日本人も気づいていた。だから、足心という言葉も生まれた。しかし、伝承が途絶える時期もあって、現在に伝わっていない。かろうじて格言や言葉として残っている、或いは、仏足跡という模刻にその残滓が見られるに過ぎないのです。

 

山崎:仏足跡ですか・・たまげたな。確かに仏足跡は足心点を中心に日輪のような図柄が描かれている。足心そのものだ。

 

武田:東洋では伝承が途絶えている足心呼吸、まあこれは造語ですが、一種の足裏でする気の呼吸みたいなものが、西洋手技法の世界で、頭蓋―仙尾骨で行われいると発見されたわけです。でも、足は抜けている。私は不完全だと思います。足―仙尾骨―頭蓋で完全になるのではないかと・・しかも、足は直接的に大地に接触しているのでより重要だと思うのです。

 

山崎:う~~ん。先生、頭が下がります。足揉み、リフレなんて簡単に言って来ましたが、これからはもっと敬意をもって言うようにします(笑)

 

武田:それはよかった。他のリフレクソロジストも喜びます(笑)。たとえ、他流派であってもね。地位向上のお役に立てて嬉しい(笑)

 

山崎:ところで、気の思想は東洋が専売特許みたいなところがあるのですが、頭蓋―仙尾骨の気の呼吸については私が浅学なせいか、聞いたことがありません。

 

武田:結構、伝承が失われているものって多いのです。「足揉み」そのものも、中国正統医学から、外れています。しかし、先に述べた黄帝内経には足脈が非常に重要視されている。所謂、腎脈、肝脈、胃脈などが足でとれるとしているのですが、現在は使われていません。これは黄帝内経に記述があるから、昔は足というものを相当重要視したんだということが分かるわけです。しかし、何故か正統医学では使われなくなった。これには理由があるのですが、長くなりますので、省略させて頂きます。しかし、黄帝内経といい、荘子の言といい、その名残は遺されているわけです。日本漢方の中にも「足揉み」はないのですが、足心という言葉にその残滓があるのです。このようなことから、伝承が失われていて、その名残が何かの名前で残っているというケースが多いものなのです。さて、頭蓋―仙尾骨の重要性はツボ名から推測されます。例えば、「百会」というツボの名は百脈が一堂に出会う場所という意味ですから、現在の経絡図を見るとそのように名付けるというのはちょっと変です。全ての経絡が会するところではないですよ。しかし、「百会」の場所は頭蓋骨縫合部分の中心点と言ってもいいところにあります。赤ちゃんの頭を触るとまだ縫合が癒着していませんからペコペコと凹むところなんですね。そこを何故、全ての経絡が一堂に会するところとしたのか・・・実は単なるツボの名の一つではなく、非常に重要な意味を持たせていて、手技が賤技となって、鍼が主流となった後もツボ名として残されたのではないかと、思いますね。つまり、古代人の感性はそこに全ての経絡を感じさせる何かを、そうですね、やはり、気の呼吸を感じていた、と思うわけです。

 

山崎:なるほど、なるほど、興味深い話です。百会にお灸を据えると痔に効くなんて言われてますが、なにか頭蓋と仙尾骨の連動をイメージさせるものがある。

 

武田:そう来ましたか。それは考えなかった(笑)

 

山崎:頭蓋骨は分かりました。で、仙尾骨はどうでしょうか?

 

武田:これはヨガにおける尾骨のチャクラという概念がより直接的でしょうね。尾骨にはクンダリーニというある種のエネルギーが眠っている。これを目覚めさせると、超人的なことができる、としているわけで、ヨガの行者の修行の目的みたいなものになっています。

 

山崎:尾骨のチャクラですね。そして頭頂のチャクラというものもある。案外、ツボと一致するところがあって、インドと中国は影響しあっているようですね。

 

武田:インド―中国に限らず、いたるところで影響を受けたり、与えたりしています。タイ古式マッサージなんて、圧勾配を使うものの、指圧によく似ていますもの。

 

山崎:随分前のテレビで放映されて、驚いたことがあるのですが、アイスマンってご存知ですか?

 

武田:ええ、氷の中に埋まってしまった5300年前の人間がほぼ原型のまま、発見されたというものですね。その人につけられたとおり名がアイスマンという・・多分、同じ番組を私も見ていますよ。

 

山崎:じゃ、話が早い。そのアイスマンに十字状の刺青があった。大腿部とかふくらはぎとか。どうして、こんな刺青をしているのか謎だったのですが、よく調べてみると、この十字状の刺青のあるポイントがなんと経穴(ツボ)と一致している。しかもそのポイントを繋いでいくと経絡図になるということでビックリ!

 

武田:私も少なからず驚いた場面でした。時間的にも5300年前ですし、地理的にも北イタリアで発見されていますからね。まさか、時空を越えてタイムスリップしたわけじゃない(笑い)

 

山崎:5300年前でしかも北イタリアですよ。

 

武田:経絡や経穴(ツボ)の発見が本当に東洋でしたら、その発見はとんでもなく昔に遡れるということですね。また、自由な交流みたいなものがすでにあったということにもなる。色々考えさせられた番組でした。だから、様々な自然治癒療法は想像以上に影響を受けたり、与えたりしているはずです。

 

山崎:案外、経絡の発見はヨーロッパだったりして。

 

武田:う~ん、肯定できませんが、否定もできませんね。今となっては分かりようのないことですから。3千年前位のことでさえ謎なのに、5300年前ともなると・・全く検証不能ですね。

 

山崎:話がちょっとそれましたが、尾骨のチャクラという概念は東洋医学、特にツボではどのような表現をしているのですか?

 

武田:「長強」という名が付いております。読んで字の如く、このツボを利用すると身体強健で長寿を得られるという意味です。

 

山崎:真人に近いですね。

 

武田:これも、深い意味を持たせていることを伺わせる名ですね。やはり、残滓が感じられる名です。

 

山崎:仙骨はどうですか?

 

武田:仙骨そのものより、むしろ、東洋人は仙骨の前側、つまり腹側にエネルギーを感じやすかったのではないかと思います。所謂、「丹田」という部位ですが、正式には「気海」と言います。

 

山崎:「気海」、気の海ですか・・・

 

武田:ある種のエネルギー、要するに「気」なんですが、それが満々ている感覚を得ていたものと思います。

 

山崎:まとめますと、頭部においては「百会」、仙尾骨は「長強」「気海」という名を冠していて、それはオステオパシーでいうところの微細な動き、一次呼吸を表現しようとした名残として名が残されているということですね。

 

武田:ええ、多分、気の呼吸を感じていたものと思われます。今風に言えば、エネルギーの波動を感じていたということでしょう。そして、足に関しては「湧泉」というツボ名がある。これも命の泉が湧くという意味でつけられています。しかし、足はツボ名で推測する必要もなく、そのものズバリ「真人は踵をもって呼吸す」という言葉が残されているということなんです。

 

山崎:よく分かりました。そこで足心なんですが、ここにおいて呼吸しているということですよね。なにか、イメージしやすい説明ってありますか。

 

武田:これも図があれば、すぐにイメージできるのですが、今は言葉で説明するより他ないですね。やってみましょう。「気」というのは色んな性格がある。また、色んな役割があります。先述しましたように、黄帝内経においては80種類以上の使い分けをしているくらいですから。経絡を通る細胞間伝達もまた「気」です。それ以外にも身体を包み込んでいる「エネルギーフィールド」みたいな「気」がある。

 

山崎:これも先生が先述したオーラをイメージすると分かりやすいですね。

 

武田:全くオーラの概念に近い。そのオーラは、真人においては足裏から出て身体全体を包み込んでいる。絶え間ない流れの中で包み込んでいる。そして、頭頂に収斂しながら、さらに頭頂より噴出し足裏に収斂していく。勿論、仙尾骨からの気も噴出しながら収斂している。なんというか、2重、3重構造で身体は「気」に包まれているわけです。心身に異常が出ますと、この「気」のフィールドに異常が出ます。逆もあるかもしれない。先に「気」のフィールドに異常があって心身に異常が出る。

 

山崎:エネルギー医学でいうところの「生命場」の概念ですね。

 

武田:そうです、そうです。「生命場」の異常を足心によって正常に戻せるということなんです。否、足心こそがその「生命場」の狂いを正常にできるということです。だから、古代の哲人は「真人は踵をもって呼吸す」と言った。

 

山崎:足心原理とは一言で言えば、「生命場」の狂い、異常を正常に戻す原理だ、ということですか。

 

武田:その通りです。古来よりこの「生命場」、「気」のフィールドが見える人達がいた。それぞれのレベルに合わせて見えるわけです。私も「気」は見えますが、色つきでは見えません。低いレベルの気を見ていることになる。色つきで見える人というのはかなり高いレベルの生命場を見ることができるということでしょうね。しかし、それでも生命場の全貌を見ることが出来る人は稀でしょう。一部、キルリアン写真でも見えますが、あれは生命場のごくごく一部です。全貌を見るということは困難かと思います。しかし、それを感じる人は意外に多いのです。古代人は現代人よりもずっと鋭敏な感覚を持っていたので、尚更だったのでしょう。逆に現代は生命場の一つ、若しくはその付帯物かもしれない生体電磁波を正確に計測する装置も開発されていて、興味が尽きないですね、エネルギー医学の分野は・・・

 

山崎:しかし、大したものです。リフレを長年やっている人は多いでしょう。普通は教えられた通りの反射区操作で病気が治ったとか、治らないとかやっていますが、先生の場合は古典やオステオパシーやその他もろもろの理論を検証して、リフレクソロジーの五大原理という形にした。教えられたとおりのことをやるのは簡単ですが、パラダイムシフトを起こす人というのは稀中の稀ですよ。だから、狂気じみた面があるとも言ったのです。一種の執念、はやり狂気という言葉が一番ピッタリですね、それが凄いと思います。

 

武田:パラダイムシフトと思って頂けますか。光栄に思います。でも、本当はパラダイムシフトじゃなくて、原点回帰なのかもしれません。

 

山崎:原点回帰であっても、シフトさせたことは間違いない。

 

武田:そう言っていただくと、素直に嬉しいですよ。


(次回へつづく)

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★ 連載 8  2005/4/9

 

山崎:これで概括的に五大原理の説明が終わったことになります。「循環原理」「反射原理」「全息胚原理」「経絡原理」「足心原理」と。

 

武田:そうですね。どこまで理解して頂いたか・・うまく説明できないところもありましたが、それは私の責任です。

 

山崎:いえいえ、分かりやすかったと思いますよ。言葉で説明するのはこれくらいが限度でしょう。本来、言外の秘伝というものでしょうから、こういうものって。古典における記述もそうですし、漢方の世界も、武術の世界もみんなそうです。近代の漢方界で傑出した臨床を持っておられた大塚敬節先生も、漢方の真髄は理論書よりも、ちょっとしたお茶飲み話、清談の中にあるという恩師の言葉を紹介されていました。

 

武田:その話をご存知でしたか。凄いな。私もその件にはいたく感銘を受けました。弟子が師の世間話的に語った片言句々を書きとめて、それが後世、重大な影響を与えるものになっている。ですから私も、時々、あらたまった授業の他に飲み会で話しをするんです。結構、真髄的なことを・・・

 

山崎:お茶会じゃなく、飲み会ですか。それは逸脱しすぎかも(笑)

 

武田:まいったな。確かに酒が入ると、みんな人の話なんか聞いてない(笑)

山崎:それぞれ好き勝手なことを言うでしょう。酒が入れば、あんまりそんなことは考えない方がいいです。楽しくやればいいわけですから・・難しいことを言うのは却って迷惑かもです。だいたいそんな状況で弟子は師の言葉を書き留めない(笑)

 

武田:反省します(笑)。時々、施術院・明生館から、パブ明生館に変わりまして(笑)・・難しい話をしているかもしれません。これからは喫茶・明生館にしよう(笑)

 

山崎:パブ明生館ねぇ~。先生のところは面白い塾ですね。

 

武田:ともあれ(笑)、五大原理という中の一つの原理が働いて効いているわけではなくて、どれが効いているか分からないけど、渾然一体となって自然治癒力を高めているということです。

 

山崎:分解すると、五つほどの原理があるということですね。よく分かりました。さて、足証整体は足を基本とすることも分かりました。しかし、その全貌はまだ述べられていませんよね。足部の操作も五大原理の中で何を重視し、組み立てていくのですか。

 

武田:足証整体の足の操作は五大原理のうちの「経絡原理」と「足心原理」を中心に組み立てていきます。

 

山崎:やはりそうですか。そうなると、もはや、リフレクソロジーとは全く別物と言ってもいいのではないですか。もともと、リフレクソロジーというのは反射療法と訳せる。先生のは単なる反射療法ではないですよね。

 

武田:そうですね。ですから、「足証整体」と言いますし、英語では「リフレパシー」と名付けました。しかし、まったく新しい概念をすぐに広めるのは難事中の難事です。リフレクソロジーはもう一般語に昇格していますからね。リフレ=足裏健康法みたいな・・ですから、ここは世間様に迎合しまして(笑)、対外的にはリフレクソロジーという言葉を使わせて頂いてます。しかし、単なるリフレではないという意味で「気のリフレクソロジー」ということにさせて頂いている。

 

山崎:なるほど。一刻も早く「足証整体」なり、「リフレパシー」が固有名詞として広まることを願っていますよ。

 

武田:有難うございます。

 

山崎:それで、「経絡原理」なり「足心原理」を中心にすえて、足の気の呼吸を促進、改善するには技法的には違うものになるということですね。

 

武田:技法が先にあって概念が生まれるものではないわけです。概念、体系が先にあって、それを具現化するために技法が生まれてくる。技法は手段ですね。しかし、目的を遂行するためには、手段は絶対必要なわけで、技法の修得は不可欠です。

 

山崎:ではいよいよ、技法編ということになりますか。

武田:そうですね。なんとか頑張ります。

 

(技法編)

 

武田:何故、暫定的であっても「気のリフレクソロジー」と名付けたか。これで、経絡原理や足心原理を中心として組み立てたということがお分かりになると思います。

 

山崎:そうですね。いずれも「気」というものが関わってくる。

 

武田:そうです。でも、循環原理や反射原理、全息胚原理を無視しているわけではないのです。これは「気の原理」を応用したときに勝手についてくる原理です。循環もよくなりますし、自律神経に影響も与えますし、個別の臓器に反応を起こさせることもできる。「気・血・水」というわけで、決して「水・血・気」ではない。やはり、「気」というものが最初にくる。「気」が動くかどうかが重要なんです。少なくとも東洋医学的には絶対そうなんです。先述の「黄帝内経」は「気」の体系書といってもいいくらいですからね。

 

山崎:HP上で、先生は足はもっとも「気」が動きやすい部位だと述べられている。折角、その部位を操作しているのに、「気」を動かせないリフレはそのポテンシャルの「半分」も使っていない、勿体ない・・という主旨のことも述べていますね。

 

武田:そうですね。私の正直な気持ちを述べさせて頂いたわけです。

 

山崎:「半分」も・・という「半分」という表現はかなり抑制を効かせているのではないですか?本当のところ「全く」という言葉を使いたかったのでは・・・

 

武田:まあ、まあ、あまりツッコミを入れないで下さい。刺激的表現はなるべく避けたい(笑)しかし、ジャーナリストは過激な発言を引き出そうとする。本能みたいなものですか(笑)

 

山崎:まあ、職業病だと思ってください。治療法はないのです(笑)余談はさておき、「気」を動かすにはどうすればいいのですか。

 

武田:スバリ本論ですね。これもHP上で述べていますが、ツボなんです。ツボに触れれば良い。ツボは身体の気を調節する窓口、いわば、スイッチみたいなものですから。

 

山崎:しかし、ツボといっても人によって違うし、同じ人でも日によって体調によって違う。さらに施術中に消失、出現さえするものだと、先生は述べています。ということはほとんど無限の中から探さねばならないわけですよね。

 

武田:そこで、足を利用する。足はわりと個人差が少ないんですね。ツボの変動差が・・大体、30箇所くらいを押せば、どんな人でも気が動くツボに当る。反射区でさえ、60箇所を超えますから、一ヶ所にかける時間が仮に反射区操作よりもかかったとしても、そんなに時間はかからない。これを最初から全身で探そうとすると、一日がかりになります。そんなことは無理なので、全身操作をする場合、当るも八卦で、作業的に一通りやることになる。これでは医療的な施術というものは無理です。だから慰安、娯楽的な施術になってしまう。或いは、刺激量で誤魔化そうと、とんでもない強い力で押したり揉んだりする。その結果、酷い揉み返しがきたりして、2度と行くか・・ということになるか、我慢して通っているうちに感じなくなってきて、コンクリートのような硬い体になってしまうか・・なんてことが日常的に起きています。医原病という言葉がありますが、手技原病なんていうのもある。よかれと思ってやっていることが実は長い目でみると身体を硬くさせ、ツボを破壊し、結局は病気の原因を作っていることになる。

 

山崎:怖いですね。でも、足を中心にすれば、そのようなことが防げるということですね。

 

武田:一見遠回りのようでいて、最短でその人の弱点、押すべきツボが見つかるというか、浮き上がってくる。

 

山崎:なるほど、全身操作の前段階としての役目というか、診断の意味合いもあるわけだ。

 

武田:勿論、足だけで完結する場合もある。でも最初の章で述べたように、現代人はせっかちですから、その場で改善感がないと承知しないですわね。それが、単なる、サウナ的な爽快感じゃなくて、医療的な改善に繋がる改善感でないとダメだということです。

 

山崎:ちょっとまとめます。足を押して、気を動かす。ここまではいいとして、気が動いた結果として、何が起きます?どのようなことでその人の弱点が分かるのですか?

 

武田:一番、端的なのは、気の滞りを受療者自身が感じるということです。これもHP上で述べていることなのですが、例えば、施術の最中、或いは、施術後に、頭がモヤモヤした感じに包まれるとか、肩甲骨に響いて、どうもそこに何かが留まっているような感じを受けるととか・・前者はオステオパシー流に言えば、頭の微細運動が充分じゃない、東洋的にいえば、閉じているわけで、頭の一次呼吸を回復させれば、すーっと抜けます。後者でいえば、肩甲骨の際の良く効くツボを押圧すれば抜けます。このように、その人の思わぬ弱点が浮かび上がってくる。中には稀ですが、吐き気がしてくる人もいますよ。これは延髄部に邪気が溜まっているということです。こんなことって、まず自覚症状はないですから、足の施術によって発見できるということなんです。

 

山崎:なるほど、面白いですね。私は先生に施術して頂いても、そういうことってわりとなかったのですが、そういうパターンもあります?

 

武田:ええ。勿論あります。半分くらいの人はそうかもしれません。その場合は治療的には足で完結させてもいいです。ただ、歪みが深すぎて浮き上がってこない場合もありますから、普段、自覚症状が強いところを重点とします。肩、首コリの強い人はその部位を、腰に違和感を感じる人は腰中心に、という具合です。

 

山崎:私も腰に違和感を覚えるというか、腰痛になるときがあるのですが、モヤモヤ感が強くなったというより、足の施術だけで、腰がふわっと軽くなったですよ。

 

武田:まだ、歪みが浅いのです。それと山崎さんのいいところは頭の動きがいいということでしょうね。閉じていない。そういう人は抜けやすい。

 

山崎:頭の働きがじゃなくて、動きが・・ですね。これで働きが・・だったらもっと嬉しい(笑)

 

武田:いや、連動するのですよ。頭の動きをよくするとIQ値が上がったという報告があります。実際、フルフォード博士が直接言及している。

 

山崎:ほう、子を持つ親御さんには興味を引くデータでしょうね。

 

武田:親自身はもう諦めているから、せめて子供は・・みたいな。なるほど。

 

山崎:塾代で何万円もかけるのですから、月に一度くらいは先生のところで頭を良くしてもらうというのもいいんじゃないでしょうか。

 

武田:しかし、とんびの子はとんびですし、カエルの子はカエルですからね・・・

 

山崎:またまたそんなこと言って!商売っ気がないんだから(笑)

 

武田:いずれにしても、人の身体は面白い。様々な反応がある。

 

山崎:他にどのような反応がありますか?

 

武田:最近では、左足を押していて、その最中、右膝が痛くなったという例もありました。

 

山崎:もともと。右膝が悪い人ですか。

 

武田:昔、痛めたことがあるということですが、最近は気にならなくなって忘れていたようです。

 

山崎:それが、出てきた?う~ん、不思議ですね。しかも左足の操作で。それで、どうしましたか。

 

武田:この場合は古傷が浮き出てきたということなんですね。つまり、潜在的な損傷が、顕在化したということです。浮き出てきたということは、実は取りやすい症状で、3分程、右膝の裏あたりをほぐしましたら、痛みは消えました。

 

山崎:気が動いた結果として起きる現象そのものですね。その場合はすぐに処置できるし、すぐに改善できるということですか。

 

武田:そうですね。真の予防医学ですよ。この方の場合、それを知らず、放っておいたら、中年以降、酷い膝痛に悩むことになったでしょう。その芽を摘んだという意味で、東洋医学的には未病の処置がなされたと言っても過言ではない。

 

山崎:未病をよく治すのが「名医」であるという格言があります。東洋医学的な名医ですね、先生は。

 

武田:私が名医であるかどうかは別として、足を上手に利用すると、こういうこともできるという例です。

 

山崎:他には?

 

武田:中々、しつこいですね(笑)。そうですね、足裏の操作が特別な意味があるという意味で、不思議な現象をご紹介します。相手の感情をダイレクトに揺さぶるということがあります。

 

山崎:具体的にはどういうことでしょうか?

 

武田:泣き出してしまうことがある。

 

山崎:痛くて?

 

武田:失敬な(笑)。私の施術をご存知でしょう。

 

山崎:分かっています。これは読者向けの質問ですから。気を悪くなさらないで下さい(笑)

 

武田:「心に響く」と呼んでいますが、ツボを通して、ダイレクトに心に響いた結果でしょう。言葉で誘導したわけでもなく、なにも言わず、なんの先入観もなしに施術を受けられて、こういうことが起きる。一種の魂の浄化、カタルシスともいうべき現象です。

 

山崎:一流の気功療法家や、ヒーラーもこのような現象をよく起こしますね。

 

武田:そうですね、かなりの個人技になるところです。しかし、足は施術者の個人的な資質はあまり関係ない。私も足以外の部位でこういう現象を起こせたことがありませんもの。足の中のやはり「足心」あたりの押圧で、こういう現象がおきる。「足心」とはよく言ったものだなぁ~とやっているほうが感動します。頻度はそれほど多くはないのですがね。中には嗚咽、号泣に近い泣き方をする人達もいて、心身一如を実感する場面です。

 

山崎:足心ね~、足の真ん中という意味だけではなかったのですね。「あし」と「こころ」をつなぐ何かがある。その何かをまとめて「気」と呼んだでしょうね。しかし、先生が足にこだわる理由の一端を垣間見た思いがします。施術者として、こういう経験をしたら、やはり、より向上し、もっと追及し、より再現性のあるものへ・・という方向にいくのでしょうね。狂気ではなかった(笑)

 

武田:やっと分かってくれましたか(笑)今、日本にリフレクソロジスト、要するに足を揉むことを仕事にしている人たちって、どれくらいいるのでしょう?専業でなくとも、仕事の中に取り入れることがある人たち、つまりエステ系や整体系、マッサージ系の人たちも含めると、3万~4万人くらいでしょうか。国家資格のマッサージ師だけで、10万人位いるそうですから、もっといるかもしれない。そういう人たちに分かってもらいたいですね。足の可能性みたいなものをですね。ホントは素晴らしいことをしているんだということをね・・或いは、今も素晴らしいことをしていると思ってらっしゃる方は、もっと素晴らしいことなんだということを・・足はその部位そのまま、すべての手技の土台、基礎になるんです。それが20年近くやってきた結論ですね。

 

山崎:先生の真摯な気持ちはよく分かりました。そのような素晴らしい施術、つまり、気を動かす施術というのは普通の技法とは違うわけですよね。個人的には知っています。何度も受けましたから。他の流派というか方法で受けたこともあります。先生のは、手を頻繁に動かさないですね。じっと圧が浸透していくのを待つかのような持続的な押圧を多用される。

 

武田:手を動かさないのに、「気」が動く。逆に、「気」を真の意味で動かすためには、手をあまり動かさないほうがいいのです。これは経絡原理によって「気」を動かす方法論として考えて頂ければ、分かりやすいのではないでしょうか。

 

山崎:細胞から細胞へ伝わっていく速度が神経伝達速度よりも遅い。つまり、持続的な押圧のよって細胞間に広がっていくということですね。

 

武田:おっしゃるとおりです。伝達速度が、前にもいいましたが、秒速30センチとして、身長170センチの人は足裏から頭まで5.6秒かかる。これは人にもより、また、ツボの捉え方にもよりますが、だいたいの目安としてそれくらいは圧が浸透するまで安定させるということです。

 

山崎:その際、何がポイントとなりますか?

 

武田:こればかりは実際に私の塾で手取り足取りで教えなければ分からないことです。言葉で概念的にお話しても実感が湧かないのではないでしょうか?

 

山崎:概念的でも、実感が伴わなくともいいですから、お話して頂ければと思います。すでに習った生徒さんもいい意味で復習になると思いますよ。

 

武田:なるほど、やってみましょうか。

 

山崎:是非、お願いします。

 

武田:まず、指の角度でしょうね。この角度の取り方は案外難しい。ほんのわずか違っても、ツボの底にピタリと届かない。そうすると、形だけは安定圧をしている風に見えますが、なんの意味もない施術になってしまう。要する「気」は動かないわけで、それなら、擦ったり、揉んだりの刺激療法のほうがまだマシということになる。「気」が動いて初めて真価を発揮しますからね。この施術方法というのは・・・

 

山崎:そのような角度を自然に取れるようになるには、かなり経験が必要でしょうか?

 

武田:普通はまず、リフレの基本手技を教えます。基本手技といっても、その角度の取り方やら、体重移動やらが全部含まったもので、後々、上級手技に生かせる設計にはなっています。それでやっていくうちに、自然に角度が定まってくるようになります。ようするに角度がズレていると、気持ち悪いと感じる自分になるわけです。これは理屈じゃなくて、そのように自分自身が感じるということで、原始感覚的な部分でしょう。頭ではなく、身体で分かると、よく言われるアレです。これは個人差がありますね。でもだいたい、マンツーマン対応で指導すれば、12時間くらいでそのコツを掴むことができるでしょう。

 

山崎:個人差があるにしても、12時間くらいでコツが掴めるものなのですか。

 

武田:それはノウハウですからね。だから、基礎コースは12時間に設定しています。

 

山崎:なるほど、角度ですか。自分で感じるわけですね。角度が悪いと気持ち悪く感じるという・・自分でなんか変だな、気持ち悪いな、と感じているときはツボに届いていない、というわけでですか。分かるような気がします。身体動作が絡んでくる全てのもの、例えば、スポーツにしても、武術にしても、そのような身体感覚を養うものですものね。

 

武田:そうそう、スポーツなどを本格的にされた経験のある方は、すぐその場で出来てしまいます。身体感覚が発達しているのでしょう。

 

山崎:では、角度が決った、押圧する位置も外れていない、としてあとはどのようなコツがあるのでしょうか?

 

武田:力で押してはいけないということでしょうね。まあ、簡単に言えば、体重移動によって圧をかけるということになります。

 

山崎:体重移動ですか。これもスポーツや武道と共通しますね。

 

武田:そうです。武術の世界では「勁」というものを使う概念ですね。

 

山崎:「勁」!「発勁」!それが出てきましたか!ワクワクするじゃないですか。先生、最高!ですよ。

 

武田:山崎さんは武術、特に古武道の専門家ですものね。

 

山崎:いえいえ、専門家だなんて、アマチュア研究の域を出ない。しかし、「勁」という言葉は一般の人には分からないと思います。「けい」、「はっけい」と読む。その概念を説明する必要がありますね。

 

武田:これは私より山崎さんのほうから説明したほうがいいのではないですか。

 

山崎:う~ん、そうですか。やってみますか。これはもともと、中国武術で使われる言葉です。古代の中国人の凄いところは、人間が出す物理的な「力」というものに2種類あると考えたところです。一つは「力」ですね、要するにパワーです。そして、もう一つが「勁」です。この違いは、なんといいましょうか、「力」が表面的であるのに対して、「勁」は内面から出てくる力、全身を使って、その力が一点に集中してくるものとして分けて考えた。

 

武田:合気道では呼吸力とか、昔は臂力と呼んでいたものですね。力を抜いた力。要するにリラックスした状態での力。余計なところに余計な力が入っていない身体動作から繰り出される打撃なりがもっとも威力があるとした。

 

山崎:「力」は散じてしまうが、「勁」は浸透すると言われています・・!なるほど、圧を浸透させるという目的においては同じだ!

 

武田:難しく考える必要はないです。スポーツも全く同じで、例えば、ゴルフなんか見てるとよく分かる。初心者はガチガチに力が入って、スイングがギコチナイ、そして遅い。だから、力を使っているにもかかわらず、全然、飛ばない。上級者は力が抜けていてスムーズな振りをする。そして、飛ぶ。見た目も美しいですしね。

 

山崎:そうですね。一流のスポーツ選手や格闘家は「勁」という概念こそ使わないものの、使っているのは「力」ではなく「勁」そのものと言っていい。指導者はもっと力を抜けと言って指導する。格闘家のボブ・サップが強かった時期がありますよね。彼は持って生まれた「力」が強い。人間のレベルを超えた身体能力がある。それを使って、「力」でなぎ倒していった。なにしろ、格闘技家としては経験がほとんどないのに、片端から、名だたる格闘技家をやっつけていった。

 

武田:身長が2メートル、体重が160キロ、にも関わらず、垂直ジャンプが1メートルを優に超えたらしい。バレーボールの選手でもそんなに飛べないのに。信じられない身体能力です。

 

山崎:惜しいかな、彼はまだ「勁」を使うに至っていない。だから、いかに身体能力が高く、それで勝てたとしても限界がある。今は一流どころには勝てなくなっている。

 

武田:凄いパワーでしたがね。逆に言うとそのパワーを生んでいる彼の筋肉が「勁」を発するのを邪魔しているような印象でした。

 

山崎:難しいところですね。「力」、パワーは格闘技家に必須です。そのためにウエイトトレーニングをし、筋肉をつける。しかし、時としてその筋肉が動きをギコチなくさせてしまう。つまり、発勁には向かない体を作ってしまう。やはり、「力」と「勁」は別物だ。

 

武田:「力」に頼ってしまうと、「勁」を発せられないということは、施術もまた「力」ではないということです。「力」だと圧が浸透していかない。いかにリラックスして、或いは「力」を抜いて押圧するかということです。「脱力した状態で力を入れる」一見、矛盾した表現ですが、「勁」を使うことを「勁」という概念抜きで説明する場合、このような表現にならざるを得ない。

 

山崎:よく分かります。あらゆるものがそうです。スムーズな体重移動という言い方もできる。それにしても、先生は様々なものに造詣が深い。格闘技とか、本格的にやった経験があるのですか?

 

武田:私は卓球です(笑)

 

山崎:卓球?ですか・・・

 

武田:今は卓球の愛ちゃんのお蔭で、結構、メジャーなマスコミで取り上げられることが多くなりましたが、私の頃はタモリなんかが、根暗なスポーツとか言って、ネクラ族の仲間みたいな、オタクなスポーツでした。それでも、一時は世界チャンピオンを夢みて熱心にやったんですよ。(笑)

 

山崎:へぇ~、どれくらいやったのですか?

 

武田:小学校5年生くらいから高校3年までやりました。しかし、どうしても才能の限界を感じましてね。もう高校2年くらいからは熱意がなくなりました。いくらやっても上手くならないのですよ。青春をかけた時期もあったのに・・もうこれ以上やってもダメだなと・・見切りをつけました。

 

山崎:見切りをつけるのは早すぎたのでは・・

 

武田:う~ん、なんとも・・・モシ、タラ、レバは人生には無意味な問いかけですから・・・しかし、面白いことがありました。30歳も随分過ぎた頃なんですが、ある日、道を何気なく歩いていると、何の脈絡もなしに分かったんですよ。なぜ、自分が上手くなれなかったのか。なぜ、伸び悩んだのか。

 

山崎:卓球の?

 

武田:そう、そうなんです。もうラケットを握らなくなって十何年も経っているのに・・突然ですよ、思い至ったのです。一種の悟りに近い(笑)。多分、潜在意識の中では相当気にしていたのでしょう。未練があったのかもしれません。自分ではなんの愛着も未練も感じているつもりはなかったのですが。潜在意識の中では答えを探し続けていたのかもしれませんね。

 

山崎:ほう、面白い経験ですね。それはどのようなことを・・その・・分かったのですか?

 

武田:言葉でいえば、先ほど来より話題にしている「勁」ですね。身体全体に力が入っていたということが分かったんです。でも、このときの分かり方は中々表現しづらいものがあります。ああっ!というような、身体に電気が走るような、そんな分かり方です。いてもたってもいられず、試したくてね、まあ、適当な相手がいませんから、ゲームセンターの卓球マシーンのところへ向かって、そく打ってみました。「ああ~やっぱり、そうか!」と1人で感動してました。こういうことだったのか!簡単なことだったのに!これで安心して忘れられる!可笑しいでしょ(笑)

 

山崎:いえいえ、示唆深いお話です。色んな意味を見出すことができる。

 

武田:一つには指導者の必要性でしょうね。田舎ですから指導者なんていないんですよ。1人で悩んで、1人で解決しなければならない。自分の才能を棚に上げて、指導者がいなかったことのせいにするのはお門違いでしょうけど、しかし、才能を開花させた一流の人には必ず、よき指導者がついている。スポーツの世界は特にそうですね。指導者は絶対に必要だと思います。遠回りしなくて済む。もう一つ痛感することは自身の「素直さ」ですね。これも絶対必要だということです。若しかしたら、先輩なり、同輩がアドバイスしていたかもしれない。当時の私の耳には届かなかったのかもしれないという思いもありました。少しばかり上手いからと言って傲慢になり過ぎていたのかな・・・と。アドバイスはなかったかもしれませんが、少なくとも上手い先輩なり、同輩なり、或いは後輩でさえも、その動きをみれば共通する何かを見出せたような気がします。素直さがないばかりに、見れども見えず、聞けども聞けず・・・ということでしょうか。

 

山崎:しかし、今のお仕事に生かされている。人生無駄なことは何一つない、と言いますが、真剣に何かに打ち込むと、その時は分からなくとも、後々になって生きてくる、という典型ではないですか。

 

武田:卓球の世界チャンピオンのほうがよかったな(笑)。でも、現役の選手はもう無理でも卓球の指導者なら、よき指導者になれるような気がしますよ。世界チャンピオンを育てたい(笑)

 

山崎:施術は現役でもあり、指導者でもあるではないですか。卓球のほうに転向しないでください(笑)

 

武田:分かりました(笑)

 

山崎:なるほどね、そういう経験もあって、身体動作を伴うものに対しては、より本質的な見方ができるというわけですか。

 

武田:どんなスポーツでも格闘技でも評論家としてなら一人前ですよ。自分ではできませんが(笑)。今自分で出来るのは、かろうじて施術くらい・・・です(笑)

 

山崎:かろうじてなんてとんでもない!人生の経験、勉強、そう言ったものが全て凝縮された一押しということですね。これはお気軽な気持ちで受けられませんね。

 

武田:いえいえ、構えられると却って、圧が浸透しない。お気軽な気持ちで受けて下さい(笑)

 

山崎:それにしても「勁」ですね。これは実際に教えるとなると、苦労があるのでは?

 

武田:「勁」という概念はあまり使わないで教えます。そうですね。力を抜いて、そのまま相手にもたれるように・・・とか、余計な力を抜いて、圧が浸透していくイメージを持ちながら押圧してくださいとか・・・ね。そうすると、フト、出来る瞬間があって、生徒さんも分かってくれるんです。教えられる側も感動があるんですよ。だって、あんなに力でギュウギュウと押していて、指も痛かったのに、勁を使うと身体は楽だし、あまり力を入れていないような感じで、ツボに到達するわけです。勘の良い方はその時点で自分自身の感覚でツボに入った感じが分かるものです。「ああっ~、ホントだ!」ということなる。一度、こういう経験をされた方はもう大丈夫、後は身体に刷り込むように何度も練習していくとマスターできます。

 

山崎:するほうもされるほうも分かるというわけですか。

 

武田:先ほど、言いましたように勘の良い方は自ら、分かるようです。自分が受け手になる場合も、何度も受けているうちにハッキリ分かってくれるようになります。「力」だと、足首より先に圧が浸透してこない。足裏自体で反発しているような感じです。言葉を変えれば、単なる刺激としか感じないものです。少なくとも何かが違うと感じるでしょうね。

 

山崎:面白いですね。コスりもせず、揉みもしないでダイレクトにツボに入れる。しかし、そのためには「勁」を使わねばならない。「力」で押してもツボには届かない。中々奥が深い。

 

武田:技法的にはもっとも単純なストレート圧が、実はもっとも難しいものです。これができれば、他の技法など、簡単すぎて習う必要もないほどです。大金を出して、よくこんな程度の技術を習うな~という感想を持つことが多いですよ。

 

山崎:おっと、過激な発言がでました。珍しいですね。私が誘導したわけではありませんよ。

 

武田:リフレ、足揉みというのは、盛んになってからの歴史はまだ浅いものです。勿論、ごく一部の人たちが細々と民間療法として伝えていった事実はありますよ。しかし、これほど盛んになって、多くの人が受けるというになったのは、わずか数十年くらいの歴史しかない。ですから、技術的にも理論的にも過渡期と言えるでしょうね。

 

山崎:これからも進化した形のリフレクソロジーが出てくるのでしょうか?

 

武田:当然でしょうね。出て来るでしょう。実際、私もこうして公表している。それに影響を受け、また独自のやり方を考える人達もいるでしょう。こうして世の中、進歩していく(笑)ただ、その理論体系や自らの臨床による検証作業など、新しいものを作っていくのは膨大な労力がかかりますから、自分の寿命を縮めるくらいの覚悟がないと、本当のものは作られないでしょう。生半可な気持ちでは、パラダイムシフトは起こせないと思います。

 

山崎:やっぱり、狂気だ(笑)

 

武田:形だけ新しく装いを凝らしても、亜流でしかない。それを新たな流派を起こしたかのように、宣伝しているところもありますが、専門家がみれば、お笑いに近い「なんちゃって!リフレ」ですね。まあ、それでも、ビジネスとして成り立つわけですから、ケチをつける筋合いのものじゃないのですが・・・

 

山崎:いずれ淘汰されていくでしょう。私は所謂「癒し」業界に興味をもって、取材したり、研究したりしてきました。趣味である武道は「殺法」、癒し技は「活法」と、対極にあるものですが、対極であるが故に似ている。とても興味のある分野です。今後、まだ、「癒し」の業界は増えていくでしょう。しかし、この伸びはやがてとまり、今の半分くらいに落ち着くのではないかと思っています。猫も杓子もという時代ではなくなりますよ。ブームも陰りが見えています。ブームはブームであって、本当の需要ではないと思います。このブームが終わって本来の需要、これは永久になくならないものですが、この本来の需要に応えられるかどうかが、今後の課題となるでしょうね。癒し業界に従事している人は、或いは経営者は心して胸に刻むべきかと思います。そんな思いがあったとき、先生に出会えた。とても、幸運だったと思います。私も勉強になりました。

 

武田:山崎さんがチラシをもって飛び込みで来たとき、最初、何者かと思いましたよ(笑)根掘り葉掘り聞いてきて、どこかの廻し者じゃないかと(笑)3回目くらいでしょうか、身分を明かされたのは。

 

山崎:失礼しました(笑)それから、随分、時間を取って頂いて、話込んでしまいました。ときには夜中まで・・メシも食わず、酒も飲まないで、気がついたら午前0時なんてこともありましたね。申し訳なかったです。

 

武田:いえいえ、とんでもない!私のほうこそ、自分の考えを整理できて、本当に貴重な時間でした。対話の全記録の10分の1くらいですかね。このように文章化したのは・・実はもっと多くの対話がなされている。ちょっと文章にするには、はばかれることもお話しました(笑)

 

山崎:ホント、そうでしたね(笑)では、そろそろ、まとめましょうか(笑)

 

武田:「気のリフレクソロジー」こと、「足証整体」、若しくは「リフレパシー」についてですね。

 

山崎:私が今、対話を通じて理解したことを述べてみます。補足があればおっしゃって下さい。

 

武田:分かりました。

 

山崎:まず、足を中心に施術を組み立てるということですが、なぜ、そうするのかというと、足はもっとも「気」が動きやすい部位であるということ。したがって、リフレクソロジーの五大原理のうち、気の体系である「経絡原理」と「足心原理」を重視するということですね。さらに、「経絡原理」「足心原理」を働かせるには、特殊な技法というか、もっとも単純なストーレート圧によって持続的に押圧する。これにより細胞間情報網に隈なく伝達していくことができる。さらに、生命場である「気のフィールド」の修復を同時に行えるということだ。そうすることによって、つまり、「気」が動くことによって、滞りがある部位が浮かび上がってくることがある。これは高次な診断とも言えて、それがあれば、労せずして重点が分かり、その詰まった感じ、モヤモヤ感を取ってあげれば、単なる慰安ではなく、医療的な施術が行える。それもこれもとにかく生命の本源的エネルギーである「気」を動かさねばならないという基本概念があるからです。

 

武田:そのとおりです。簡単にまとめると本当に簡単ですね。やっぱり、山崎さんがまとめ方がうまい。

 

山崎:なにか足りないところは?

 

武田:特にないです。すでに前章などで述べていますし。

 

山崎:この辺でどうでしょうか?そろそろ・・・

 

武田:そうですね。また、機会があったら、文章化したものを手直ししたり、あらたに付け加えて再度発表しましょう。

 

山崎:異存ありません。有難うございました。

 

武田:長い間、有難うございました。

 

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