経絡と頭蓋療法

 現代オステオパシーのもっとも特徴的な手技は一次呼吸システムの根源的解を頭蓋の自律的微細運動に求めるクラニアル・マニピュレーションではないかと思う。
 これは他の療法には類例がなく、その独自性を際立たせている。

 

 では他の治療法、特に経絡治療では頭部をどのように捉えているのだろうか?

 

 頭部(顔面を含む)を走行している経絡は、後ろから膀胱経、胆経、三焦経、小腸経、脾経、大腸経、胃経の七経である(増永経絡)
 他の経絡は喉の上部において体表面から消え、深く伏行して脳髄に注いでいる(肺経、心包経、腎経、肝経)。また心経に至っては胸骨上で一旦潜行し、舌骨筋あたりで再び体表に現れ、そしてまた潜行することになっている。

 

 経絡とは循環であって、連続する情報伝達器官であるとする先人の知恵を信じるならば、体表面で認められないからといって、そこで切れているとは言えない。
 つまり、経絡図(増永経絡)を注意深く考察すれば脳髄にこそ全ての経絡が注ぎ込み、そこで渾然一体となっていることが見て取れるのである。

 

 すなわち脳の働きとは全ての経絡が渾然一体となって溶けこみ、作用している結果のものだと言っても過言ではない。つまり脳の膨張と収縮を生みだす一次呼吸システムの原動力そのものなのである。

 

 私は経絡反応によって頭蓋の動きが正常化することを臨床上確認しているから、以上述べたことは仮説ではなく、実感が伴っているということをご承知置き願いたい。

 さて、それを踏まえた上で、もう一度頭部の経絡走行を確認してみる。
 まず、重要とされるのは脾経である。脾経は顔、頭部の側面を通り、コメカミ(頭維)に達している。そこから 脳髄へと注ぐわけだが、途中、咬筋や側頭筋といった咀嚼筋上を走行するのは消化器系と密接な関係があるからに他ならない。また膝関節と顎関節の支配経絡の一つでもあり、顎関節の咀嚼機能は分かるとして、餌を取るための移動手段としての膝関節を包含するのは非常に興味深い。

 

 さておき、頭部押圧においてもコメカミは欠かせぬ部位である。またクラニアル・マニにおけるVスプレッド系の技法によっても脾経点(頭維)は必須ポイントである。解剖学的にツボの位置を決めるのはナンセンスだが、頭維は縫合上に現れやすいものだと思う。

 

 経絡は個人によって広狭の幅があり、病態によっても微妙にその走行は異なっているが、コメカミを取り囲むように気力(胆力)や関節を支配する胆経、膜(脳膜)を支配する三焦経が走行している。
 また、それより頭頂部寄りには自律神経系を支配する膀胱経が縦走している。ここでも膀胱経の重要ポイントは冠状縫合上に出やすいのである。
 さらに督脈と任脈の境界がブレグマであり、古来「百会」と呼ばれてきた経穴でもある(位置については諸説あり)。百会とは百脈が一堂に会する処という意味である。ツボは経絡上に存在する身体内部の覗き穴であるから、ここに百脈が会するとしたのは、全ての経絡(百脈)をこの部位で垣間見た古人の実感故の命名だったのだろう。

 

 そもそもここに百脈有りとするのは、古典経絡が如何に省略し、簡素化したものであるかを物語っている。経穴名と経絡走行の最大の矛盾が「百会」なのであるが、増永師の主張通り、後世、省略し、簡略化されたものが古典経絡図として伝わったという立場をとるなら、疑問は氷解し、合点がいくではないか。

 

 いずれにしても脳髄には全ての経絡が注ぎ込み「生命の座」としての機能を果たしている。よって、どの経絡からも頭部へ影響を与えることは可能だが、より頭部に近いか、若しくは頭部そのものを対象に経絡反応を起こさせることが出来れば、早い段階で一次呼吸が回復するだろう。

 

 しかし、クラニアル・マニピュレーションがほとんど圧力をかけないくらい微細なタッチで行うことからも分かるように、従来の頭部指圧的な方法論では効率的な頭部拘束の解放(つまり一次呼吸の回復)は望めない。


 少なくとも、縫合上から脳髄まで貫通するような圧を使わねばならないのである。もし、それが出来ないのであれば、クラニアル・マニピュレーションを行うしかないのだが、ここで、クラニアル・マニを使わない方法をもう少し考察してみたい。

 

 さきほど貫通する圧力と表現したが、どのような圧力か。
 圧は圧であって、物理的な違いなどない!という唯物論者の言い分も分かるが、実際に訓練を積めば、説明不能のようなことが起きる。
 例えば、空手の達人は重ねた10枚の瓦のうち下から3番目の瓦だけを割り、他の瓦にはなんら影響を与えないなどという芸当ができる。
 我々、素人からみれば神業としか言いようがないが、神業ではなく訓練によって行い得る人間の業である。
 貫通する圧とはこのような不可思議な或いは神秘的な技量が必要なわけではなく、単に素直な筋トーヌス状態と少しの持続性が求められるだけである。
 そして、それを可能にするのはイメージだろう。

 

 しかし、そのような繊細な押圧を行う施術者は少ない。
 例えば、持続圧にしても、リラクゼーション的な現場では時間内における手数を要求される為、悪い見本として否定される。
 よって訓練する機会などなく、押圧と呼ぶ全ての圧は圧勾配のことだと勘違いしてしまうのである。

 

 残念ながら、手技において貫通、若しくは深く浸透する圧は、前述のように筋トーヌス状態下の体の使い方と、持続性という時間軸が必要なのであるから、ほとんどの施術家は頭蓋へのアプローチを可能にする力量を持ち得ていない。


 したがって、複合的かつ偶然の結果として、一次呼吸の回復をみているに過ぎないのである。しかし、正しい方向での訓練を積めば、クラニアル・マニを用いないで、頭蓋療法を施すことは充分に可能であることを理解しなければならない。

 

 さておき。
 経絡とは脈動のことであって、それは単細胞生物であるアメーバにおいてもみられる現象、すなわち原形質流動であると喝破したのは増永師であるが、その知見は今でも色褪せることはなく我々施術家の理論的支えとなっている。


 単細胞生物が多細胞生物に進化する過程で各自バラバラな細胞を効率良く制御するための司令系が必要になった。それが神経である。さらにそれらの神経が効率よく働くためにはもう一段上の階層の司令系統が必要である。それが「脳」として発達してきたものであるが、生物進化の観点でいえばかなり後になって出現したものである。
 しかしながら、高次制御系である脳の発達はやがてより複雑な生物形態を可能にし、さらに知性を生み出すことにもなったわけであるから、脳の出現は生物史の中では重大事件の一つであると言える。

 我々にいたっては脳はもはや生命発現の「座」とも言うべき地位を占めている。その「脳」ともっとも原始的な生命現象である「原形質流動」との共通項は何か?

 

脈動である。

 

 脳といえども細胞が基になっているわけだから、それらが数百億単位で共振し、脳全体として膨張と収縮を繰り返しているとしているフルフォード理論を否定する根拠は見つけにくい。


 経絡もまた細胞脈動による情報伝達手段であるから、両者におけるシンクロがないとするほうが理性的ではないだろう。

 

 そう!細胞脈動が全体としてシンクロし、一つの情報伝達手段となっていることを経絡走行と呼ぶのなら、脳の膨張と収縮もまた経絡現象に他ならないはずである。

 

 経絡現象をもっとも効率よく引き出せるのは「力」を入れない筋トーヌス圧、すなわち増永師がいう「支え圧」であるなら、脳の一次呼吸の回復もまた力を入れる圧には反応しずらいはずである。


 さらに脳は頭蓋という硬い殻に守られ、強圧を跳ね返し、何らの影響も受けないようになっている。


 故に縫合上からの微細なタッチ(5グラム以下)を行うことになるのである。


 しかし、ここで頭蓋を貫通し、脳に直接的な影響を及ぼすことができる「圧」ができ得るとしたらどうだろう?

 

 増永師は頭部は重要な経絡が走行しているので、大事な施術部位である、と述べている。
 貫通力のある圧を使うことができたが故の発言なのだが、その押圧スタイルを観察すると、筋トーヌス&持続圧であることは勿論のこと、頭部押圧においても示指関節を多用している。


 ここにヒントが隠されていると思う。


 一次呼吸システムに影響を及ぼすことができた数少ない指圧家の一人である増永師の押圧技法に学ぶべき点は多い。


※とは言うものの、実務的には、指圧系でクラニアル機序を追い求めるよりも、オステオパシーの技法でクラニアルアプローチするほうが断然効率的ではある。やはり餅は餅屋である。