経絡とトリガーポイント

 

 経絡治療の眼目は経脈を開き、滞りを解消することにある。


 どの系統の脈が滞っているのか?そして、その滞り方は詰まったような状態でパンパンになっているのか?それとも、気が不足して力がなく奥底でシコっているのか?


 前者を「実」と呼び、後者を「虚」と呼ぶことはすでにご承知のことと思う。


 経絡治療とは「実」の甚だしきを特定し、最も「虚」している経脈を判定することにある。これを異種系統の二経で行うと、故増永師が体系付けた証診断ということに相成る。

 

 例えば脾虚小腸実という証は、脾経という経脈が「虚」していて、小腸経という経脈が「実」している状態の歪みのことである。


 この診断に基づき治療(施術)を行うわけだが、縦走する脾経と小腸経のどこがポイントになるのだろうか?

 

 ポイントは分かりやすい「実」よりも隠れて分かりづらい「虚」にあることは明白であるから、同じコリでも「実のコリ」より「虚のコリ」見出すことのほうがより重要である。ならばその虚のコリはどこにあるのだろう?

 

 仮に証を掴めたとしても、この虚のコリを把握できないうちは経絡治療を極めたとは言えないし、経絡を基にして施術しているなどと主張できるものでもない。「愛国者を名乗るは悪党の最後の隠れ蓑」という格言をもじって「経絡治療を名乗るは不勉強施術者の最後の隠れ蓑」と主張したことがあるが、今でも一分の真理が含まれていると思っている。

 

 「経絡」や「気」という科学では証明不能の理屈が許されるのは、施術者がそれを実感し、そして実効果を挙げてこそのものであるが、大概、経絡や気と大言壮語する術者は平凡な効果しか挙げることしかできないのである。

 

 これは一重に証診断も出来ず、ましてや「虚のコリ」を見出す力量が全く不足しているからであって、経絡のせいではない。

 

 経絡は幻想の産物でも、施術家のイメージでもないし、ましてやオカルトめいた怪しい世界観が描くところの神秘思想でもないのである。


 身体が異常な状態に陥ったときにはじめて実感できる情報伝達手段、つまり細胞間伝達である。それは故増永師が人によってそれぞれ広狭の幅があり、病気をすればその走行が変化する、と描写した如く、かなり融通無碍な実体でもある。

 

 身体が異常な状態のとき、圧されるとゆっくりとヒビキが放散していく様は誰でも感じ取れるもので、特別な能力を必要としないのは、もっとも原始的な感覚だからである。この圧すとヒビキが放散していく特異点こそ「虚のコリ」と呼ぶのであって、古来、日本では「天応穴」とも呼ばれた。

 

「虚のコリ」を見出すにしても、「天応穴」を探しだすにしても、それを意図的に行うのは容易なことではない。だからこそ、名人、名医という存在がいたわけだ。


 つまり、東洋医学的なアプローチでこの特異点を見出す作業は困難を極めるのである。

 

 そこにトリガーポイント(以下TPと略す)の重要性が出てくる。


 Dr.TravellとDr.Simonsが半世紀の歳月をかけ、まさに心血を注いで体系化したそれぞれのTP群は「虚のコリ」や「天応穴」の一部に他ならず、筋筋膜上の組織拘束(エネルギーブロック)とも言えるわけで、サトル・オステオパシー(フルフォードD.O)の概念にも通じてくる。

 

 こうして見ると、優れた治療家達は表現は違っても同じものを追いかけていたということが分かるのではないだろうか。

 

 そして、ありがたいことに、凡人たる我々がもっとも修得しやすいのがTP体系なのである。60~程の筋群とそれぞれTPが発生しやすい位置を覚え込むだけで、かつての名人、名医に迫れる治療実績を出すことができる。

 

 そしてもっとありがたいことに、このTP群は手技によってもっとも沈静化でき、さらに経絡反応を起こさせる脱力した単純推圧(筋トーヌス)によく反応するのである。

 

 この事実は、TP体系を作ったDr.TravellやDr.Simonsでさえ、気が付かなかったことであるし、TP治療を一躍有名にしたClair Davices氏も気づいていない。ましてや注射や鍼を使う医師や鍼灸師は知り得るはずもない。

 

 しかし、考えてみれば、TP群が虚のコリの一部であるならば、このようなことは当たり前のことであって、むしろ期せずしてそれを施術によって証明したわけである。


 施術実感から言っても、TP群は間違いなく虚のコリの一部であり、筋筋膜上のエネルギーブロックの一つである。その証拠に、「問題となって現れている部位と原因となっている部位が違う」という古人達の到達した知見がそっくり、その体系上に表現されているではないか。

 

 痛い処、辛い処に原因があるなら、誰も苦労はしない。その部位を処置すれば良いわけだから。診断など必要もないだろう。誰もが名人にも達人にもなれるはずだ。


 しかし、現実はそんな単純な発想で改善できるものではないことは、施術を少しでもかじったことのある者なら自明の理だろう。

 

 問題の所在を掴むことが難事中の難事であるが故に、凡と才の違いが生まれてくる。したがって、才ある施術家に最短でなろうとする者はTP体系の修得をトッププライオリティとして考えるべきである。

 

 そうすると、経絡の必要がなくなるのではないか?という疑問が出てくるかもしれない。


 おそらく、施術実務上は経絡を知らなくても、特に不便を感じないだろう。ならば、不要である、と断言できるものだろうか?

 

 例えば、ここに上歯が浮き(いわゆる浮き歯)でものを噛めない人がいるとしよう。
 これをTP処理で解決しようとすると、どのようなTPが考えられるだろうか?
 実は浮歯を解決するTPは想定されていない。

 

 では、経絡はどうだろう?
 下歯は大腸経の支配が強く、上歯は小腸経の支配が強いと先人は教えている。

 小腸経は、棘下筋の真上を通り、肩から胸鎖乳突筋を横切り、耳の下、耳の前と走行している経絡である。また上肢の陽面小指側を通っている。

 ここから類推するに、肩甲骨上及び、異常走行も考慮して肩甲骨内縁部、さらに肩部、胸鎖乳突筋及び上肢が操作の候補として思いつく。実際これを処理すれば、見事に浮き歯が治まり、翌日にはごく普通の食生活が営めるようになる。さらに咬み合わせの問題はこれにコメカミ(脾経)の操作を組み合わせることで大概、ケリがつく。そして、その操作の途中、まさにTPに出会うのある。


 つまり、何が言いたいかというと?
 経絡は施術に深みを与えてくれるということだ。


 TPしか知らないと対処できない症例に多くのヒントや手がかりを示唆してくれる。まさに施術に深みと守備の広さを与えてくれるのである。そして経絡を想定して施術を行なっているとTPに出会い-TPとは経絡上の虚実に他ならないと実感されるのである。

 

 経絡だけで一流の施術家になるには膨大な時間と天賦の才が必要である。しかし、TPの修得後に経絡概念を知り得れば、確実に時間の節約になるし、人並み外れた才を必要としない。(相当な努力は必要だが)

努力すれば身につくものと努力しても身につけるのが困難なものとでは雲泥の差があるのは当然だろう。


 私は今、施術家として独り立ちするのに、最短の道筋を示しているのである。


 一日も早く、良き施術家となって、一人でも多くの人の苦痛を取り除きたいと願っている者であるならば、傾聴に値する意見であると思うが如何であろうか。

 

参照→トリガーポイントについて

 

参照→経絡治療について